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[治療が済めば頭をもたげ、自分の身体を見る。
怪鳥に受けた傷は癒され、新しい鱗は艶やかに輝いていた。
身体もどこか軽くなったように思う。
身体を震わせ、怪鳥の残骸を森の中に吐き出した後、求められるままに姿を変えた。
少し縮んだ蛇尾の上に人間の上半身が現れる。
腕にいくつも細環を連ね、腰回りにも金の鎖を巻き、首飾りを下げている以外は衣服も身に付けぬ姿だ。]
今のはとても良かった。
オマエはやはり温かいな。
[人の顔をして人の言葉を話す。
だが目や舌には蛇の相が未だ残っていた。]
[治療の光を受けた蛇はとぐろを崩してグッタリしたように見え、少しばかり心配したのだけれど、具合が悪かったわけではないらしい。
ペ、と怪鳥の残骸を吐き出す様は褒められたものではなかったけれど、蛇の習性だから場所さえわきまえれば止めさせる筋合いでもないと了見した。
天使の見守る前で、大蛇はその外見を変える。
筋骨逞しい胸板に華美な宝飾品のみをまとった男。
その下半身は蛇のままであったし、目や舌はどこか蛇っぽい。
これが限度なら仕方ないが、人目につかぬよう工夫する必要はあるだろう。]
[蛇は先の細い舌で器用に人の言葉を話した。
その声には芯があり、耳に心地よく響く。
「やはり」とかねてからの見知りのように言われ、天使はひとつ首を振った。
覚えがない。天使違いだろう。
その辺りに、この蛇が天界へ忍び込んだ理由があるような気もしたが、いつまでも天使の姿でいればまた魔物を呼びかねないと先を急いでしまった。
自らも人に身を窶した天使は銀の髪に天青の明眸をし、銀の鎧に聖印を刺繍したサーコートを羽織る。
手にするのは蕨状の飾り金具を戴く牧杖であった。]
わたしは、これより
必要であれば、その名で呼びなさい。
わたしを「主」と呼んではいけない。主は天におられる方のみだ。
おまえのことは何と呼ぼう?
[自分のこの姿を見ても天使の反応は薄い。
蛇の見分けは難しくとも、人の姿ならば多少は覚えているかと思ったのだが。
もっとも、あの時も名乗ったわけではないと思いなおす。
受肉した天使の姿もまた目に心地よく、魂の輝きが仄かな温もりとなって伝わってきた。]
アンヘル・ヴィンセント。
ヴィンでいいか?
[名を告げられて問い返し、尋ねられれば軽く胸を張った。]
ラールナーガ族のギルシュナターカだ。
親しみを込めてギィ様と呼んでもいいぞ。
[誇らしげに一族と己の名を名乗る。
それから、先ほどのリングを指して自分の右の耳に触れた。]
それはここに付けておこうか。
ここなら邪魔にならない。
[魔力を持つ品は蛇に姿を変えても残ることがあるから、指輪に、というわけにもいかなかった。
尻尾の先でも良かったのだけれども、耳に通しておく方が失くしにくい。]
[知性と誇りと無邪気さが混在するような半蛇の振る舞いに、天使を相手にするのとは違う新鮮味──あるいは締めつけられるような懐旧? 否、あるはずもない──を覚えつつ、表面上は冷静に応じる。]
特に親しみは要らない、
ラールナーガ族のギルシュナターカ。
[告げられたとおりを復唱したつもりだったが、微妙にイントネーションが違ってしまい、難しかった。
様づけはともかく、ギィと呼ぶことにする。
自分のことも、ヴィンと呼ばせておくことにした。
そもそも、自分はどうしてその名を選んだのだろう、よくわからない。]
[自身は耳飾りはつけた試しがないが、ギィがそこがいいというなら、手を伸ばしてリングをつけてやろうとする。]
おまえが神具探索に忠実でない時、人に害を加えようとした時、このリングを使って、わたしはおまえを罰する。
逆に、わたしが利己的におまえを見捨てようとする時、おまえはわたしを罰することができる。
覚えておきなさい。
[そんな付帯効果があると今更ながらに告げ、神具探索への出発を促すのだった。]
[人の姿を取った天使のふるまいは、どこか、こう、とても天使的だった。
記憶にあるのとは少し違う姿。
それでも感じる気配は同じで、蛇を聊か混乱させる。]
オマエは───
[結局名を呼ばずにそんな風に呼んで、
その呼びかけもまた、伸ばされた手に途切れる。
魔力帯びたリングは望むように形を変え、ピアスとして耳に下がった。
小さな重みを確かめるように、幾度か首を傾ける。]
[しっかりと契約のリングが付いてから告げられた効力に、しばしきょとんとした。]
罰?
そんなことは聞いてないぞ?
別に人間など襲う気はないが、
そういう大事なことを黙っていなんてひどいだろう。
[文句を言いながらも深刻な抗議というわけではなく、出発するというなら素直についていくのだった。]
― 瘴気の湿地帯 ―
[瘴気の霧に満ちた湿原は、どこまでも続いているようだった。
見通しが効かないからそう思えるのかもしれないが、この魔素の濃さは魔界にある迷いの地を思わせる。
どうやってここから抜け出して降魔士を探したものか。
苛立たしく水の面を尾で叩けば、近くで反応するものがあった。]
[澱んだ沼の表面に波紋を描き、ぬめりとしたものが浮上する。
小山のような物体から粘つく水が流れ落ち、真一文字に亀裂が走ったかと思うとぎょろつく目が現れた。]
───!
[半人半蛇から大蛇へと瞬時に姿を変え身構えた目の前で、巨大なカエルが姿を現す。
人間どころか小屋ごと呑みこみそうな相手を前に、ちろりと舌を出し入れしながら蛇はゆるりと首を後ろに引いた。]**
[蛇に睨まれた蛙と言うが、この場合は蛙のほうが蛇をひとのみにできる大きさだった。
だが蛇は臆することなく立ち向かっていく。
誇り高きナーガの一族に、逃走という言葉は似あわない。
蛙の動きを窺い、攻撃の機を待って全身に力をためる。
時間感覚が飴のように引き伸ばされていく。]
[以前にもこんなことがあった。
思考の片隅を、過去の光景がかすめていく。
あの時の相手はこれほど大きくはなかったが、自分もまた小さな蛇だった。
無謀な相手に挑みかかり、手酷く痛めつけられた。]
[ちろり、と舌を出して相手を、周囲を確認する。
そのとき、蛙の口が薄く開いた。
弾丸のように蛙の舌が打ち出され、空間を刺し貫く。
その半瞬にも満たない動きに先んじて、蛇も鋭く跳躍していた。
捕食の舌をぎりぎりのラインで躱し、蛙の背にとびかかる。
相手の目の後ろに毒牙を突き立てれば、驚いた巨体が高く跳ねた。]
[体を半ば引き裂かれながらも、小蛇は戦いをやめなかった。
幾度振り落とされても喰らいつき、何度でも挑みかかる。
自分のため、一族のため、引き下がるという選択肢はなかった。
跳び上がる力さえ失くしても、なお頭を上げて牙を剥く。
そんなとき、光が、空から降り注いだのだ。]
[蛇に噛みつかれた蛙はひどく暴れた。
その背に必死になって張り付きながら何度も牙を打ち込む。
この巨体でかつ毒霧の中に棲む魔物だ。毒の効きも悪い。
それでも幾度でも攻撃を繰り返した。
めちゃくちゃに暴れる蛙の下敷きになり、あるいは強靭な足に蹴られて体にはいくつも傷が刻まれる。
だが飽くことなく噛みつくうちに、さしもの巨体も動きが鈍くなってきた。]
[暖かな光だった。
太陽がやってきたのだと思った。
相手は光に弱い魔物だったのだろう。
断末魔の声を残して乾涸び砕けていき、一塊の残骸となった。
その傍らに、光が降りてきたのだ。
伸ばされた手の温かさは、今も覚えている。]
[動かなくなった蛙の傍らで、蛇もまた動けなくなっていた。
大きすぎる獲物を引きちぎり呑み込んでいくらか体力を回復するも、まだ足りなかった。
沼に沈んでいく獲物の上に登って体を休めるも、やがてそこにも水が達する。
だが、安全な場所へ移るだけの力も無い。
かくして深紅の蛇の姿は、濁った沼の下へゆっくりと沈んでいった。]**
[どうにか半身を人に変えて、礼は告げた。
だが自分の意識もそこまでだった。
気付いた時には光はすでになく、自身は安全な場所に横たえられていた。
棲家へと戻りながら、あの時心に強く思ったのだ。
アレが欲しい。
アレを、オレのものにする、と。]
[沈みゆく意識の中で、あのときの太陽を呼んだ。
ありったけの思念を込めて呼びかけた。
あの時のように半身を人に変え、耳に揺れる繋がりの証を引きちぎって噛み砕く。
零れ溢れる魔力に乗せて、自分はここだと声無く叫んだ。]
[天を貫いて奔った光は、澱んだ沼の奥底まで届いた。
眩い光が意識を覚醒させる。
あれこそ、己が求めた太陽。
手の裡にと欲した輝かしい未来。]
ここだ。
こっちだ。
オレの───
[沼の奥底から意識の手が伸ばされる。
光の後を追いかけるどの魔物よりも強い渇望が、光に恋い焦がれる純粋な欲望が、形なき力となって伸ばされ沼の底へ引き込まんと蠢いた。]
[光の源に意識が触れた。
温かな力が流れ込む。
目覚めよと呼ぶ声が水面を波立たせる。
それは長い冬の後に注ぐ春の日差しにも似て、新芽を促す峻烈な風にも似て、蛇に新たな力を注いだ。]
ああああぁぁぁぁぁぁっ!!
[沼の底で、力の限りを込めて咆えた。
水がはじけ飛び、水面が割れて互いの姿をあらわにする。
蛇は光の使徒をみとめ、己の両腕をいっぱいに伸ばす。]
オマエが欲しい。
ずっと欲しかった。
[純粋で直情な欲求が喉をつく。]
─── 来い、ヴィン。
[それは初めての、支配の意思を込めた呼びかけ。
吹き飛ばされた水が、天使を引きずり込まんと雪崩れ落ちる。]
[泥の重みに膝を折った天使の手を掴み、引き寄せる。
傷ついた蛇体が陽を求める蔦のように天使の身体へ伸ばされた。
気づけば周囲を包むのは泥ではなく不定形な闇へと変わる。
───オマエを離さない
ナーガの意思が周囲の魔素と反応し、世界に極小の変異を引き起こしたのだ。]
[こんな時でさえ、守ってくれようとした翼。
真摯に切実に想い向き合ってくれる言葉。
繋いだ手の温かさ。]
オマエは太陽だ…
[熱に掠れた声で呟き、引き寄せた手を己の額に当てる。
祈るよう、許しを乞うように。]
[人の姿に似ていても、口の中には小さな毒牙を秘めている。
獲物の身体を侵し、痺れさせ、身体の自由を奪う毒が。]
このまま、 離したくない …
[どこへも行くなと息だけで呟き、ぬくもりに抱き着き絡みついたまま安心したような眠りに落ちていった。]
[芳しい風の吹く丘の上で穏やかな日差しを浴びながら微睡む。
そんな夢を見ていた。
地底にある一族の棲家では、めったに味わえない贅沢。
ぬくもりに包まれて、癒される。
身体も癒され心も満たされて目を開けば、腕の中には眠る前と変わらぬ天使の姿があった。]
─── いた。
いなくなってなかった。
[喜色は、郷愁の色も宿す。]
あの時、目を覚ましたらひとりだった。
それがどれだけ寂しかったかわかるか?
あの日からオレはオマエを探していたんだ。
ずっと、ずっと探して、天界にも行って、
やっと見つけて、オマエを地上に誘い出して、
[絡ませた蛇尾で天使の肌をまさぐる。
全てに触れたいとばかりに絡みつき、うねって鱗を滑らせる。]
ようやく、こうして、オマエに触れられたんだ。
オレの太陽。
オレは、おまえが欲しい。
欲しくて、欲しくてたまらない。
オレのものになれ。
[解き放たれた欲望のままに告げ、確かめるように幾度も舌先で天使に触れた。
頬に、耳に、唇に、真っ赤な舌が濡れた痕を残していく。]
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