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[耳朶をくすぐる「ヴァンス」という呼び声は、彼だけのシラブルだ。
彼の遠い母国の響きで交わされる秘め事。]
──ユベール…、
[辰砂は不死の瞳を蕩かす。]
[逡巡は自分の無知を怖れたゆえに。
楽器となることすら想定されていなかった金属は、タクトは振り上げられて目覚めるだろう。
自身も知らなかった官能のアリアを。刻んで。]
― ジークムントの部屋付近 ―
[血の盃を運ぶ先、
扉の下を茨が這っているのを見れば、城主の”分身”がジークムントを訪問中と知れた。]
──…、
[出直すべきか──黙って踵を返しかけたものの、ほどなく薔薇は紅に染まろう。
このままではジークムントが欠礼しかねないと思い直し、扉の前まで移動して、茨を爪先で軽く蹴り蹴りする。
続く扉へのノックは、それよりも丁重に行われた。]
ヴィンセントです。
― ジークムントの部屋 ―
[あきらかに逢瀬を邪魔した形だったろうが、その件について恐縮することはなく、まずは部屋の主と茨の主の姿とに一礼した。]
“飲み物”を用意しました。
こちらに置いておきます。
[死者の心臓から絞った苦い血。
深紅をたたえるショットグラスをサイドテーブルに乗せる。]
あなたとまた剣の稽古をしたい。
ちゃんと糧をとってくださると嬉しいです。
[望みを口にし、だがそれ以上は強要することなく、トレイを小脇に抱え直した。]
それと──すでに城主から伝言があったなら、お許しを。
[ギィがわざわざ”分身”を象ってジークムントの私室を訪問している理由が、そんなまっとうな伝言を届けるためであるはずがないと承知しつつ、ヴィンセントは事務的に前置きする。]
由緒正しき家柄に属するシュトラウス家の令嬢が当城をご訪問です。
歓迎の正餐に参加されますか?
[おそらくそれは、極めて吸血鬼的な宴になるだろうと言外に含める。
私室で寛いでいた様子だが、ジークムントの服装は乱れたところがない。
ジークムントがアプサラスらに挨拶に行くというならサロンまで同道を、行かないのならそっとしておくことにして、いずれにせよ部屋を辞すべく一歩退いた。**]
― 重なる音色 ―
[初めて弟と互いの響きを重ね合った夜、
初めて、"父"がこの身に刻んだ技に感謝を覚えた。
重なり、絡まる2つの音色。
始めはぎこちなかった対の音が、
次第に磨かれ、艶を帯び、官能のビブラートを纏う。
彼と自分は互いに楽器であり、演奏者でもあった。
夜に響き、闇に奏でる弓と弦。
注ぎ込めば、同じだけ返ってくる器。]
― 重なる音色 ―
[“父”はギィを愛したやり方ではヴィンセントに接しなかった。
ゆえに初めてその身に宿した音色。
自らの裡にこれほどの旋律があったとは知らず、
寄り添う蕾からこれほどの蜜が溢れるとは知らず。
鏡像のように互いを学んで自らを拓き、
共に不死の身を法悦の虚脱に委ねる一体感に、魂の谺を受け止める。]
ユベール…、 ユベール…、
──見つけた。
[睦言の響き、新しい歌の迸るごと、古城に薔薇が咲き乱れる宵には、滑らかな膚にも薔薇がいくつも散りばめられた。
腕と蔦も相似に絡み合い、臥所を這う。]
[外の世界には様々な刺激があり、訪れる者を待ち構えている。
だが、それは世界の半分でしかなかった。
この内向きの
[年月が流れ──
訪れる者があり、去る者があり、馴染むことで馴れ合いもした。
茨の蔓が他所へ伸びて新しい水脈を汲上げれば、氷層に亀裂を走らせてみることもあったが、
互いの底でひとつに混じり合う情は澱むことなく、重ねる夜の裡に甘い薔薇を咲かせている。
問われれば、迷いなく答えよう。
──愛しているのだと。]
― ジークムントの部屋 ―
[優美な、少しばかり堅くも見えるジークムントの挙止を静かに見守る。]
…無理はせず。
私も、魔の理を認められるようになるまでは時間が必要でした。
お扶けできることがあれば、なんなりと。
[ジークムントが宴に顔を出すために部屋を出るのに従い、先導する。
途中、窓の外で紅に変わった薔薇に嘆息する声を聞いた。
野茨をさやがすような切なげな吐息。]
…、
[わずかに速めた歩調でサロンまで進む。]
― サロン ―
失礼します。
[ギィひとりだった時とは異なり、声をかけてから扉を開き、まずはジークムントを通した。
無理なく視界に入るよう、さりげなくシメオンの左側を過るのを避けてジークムントを誘導する。
自分は、ここに集まった全員とすでに顔見知りである。
ジークムントの紹介の間は壁際に控え、投げかけられた視線に会釈した。
アプサラスはあの本を読み終わったろうか。
談義するのが楽しみだ。**]
― 悠久のかなたへ ―
[心赴くままにひとを愛し、愛でる自分の性分は、
彼を苦しませているのだろうかと、思うことはある。
それでも心を留めることはできないし、するつもりもない。
そんなことをしたら―――きっと死んでしまう。
愛し、愛されることへの欲求は、
血の餓えより、なお重い。]
[おまえは愛でできているのだと、いつだか"父"に言われた。
思うところの多い血の親ではあるが、
その目も、思慮も、自分など及びもつかないと認めてはいる。
酷いやり方であれ、"父"は自分を愛した。
深く刻み付けられた愛の空隙を、弟が注ぎ、満たした。
それが、今の自分を形作る根幹だ。]
ともにゆこう、ヴァンス。
――― 世界が終わる果てまで、ともに。
[互いに抱き合い昇り詰めながら零した言葉は、
間違いなく、心の奥底からの叫びであった。]
― 悠久のかなたへ ―
[数多を愛でる兄は、血のみで生きるにあらざる。
人の夜を訪れて新しい花を見つけ、時に移り香さえも漂わせて戻るギィに文句を言わず、ただいつもより冷淡に距離を置くのがヴィンセントの処世だった。
拒絶ではない、
妬心もまた、愛撫の最中に爪を立てられて身を強張らせる痛みのようなもの。
疼きに変わる快感は、狂おしく、熱い。
苦しみさえも、甘い。]
[それを知ればこそ、閨のギィがしなやかな鞭の打擲や革の枷による酷愛を求める気持ちも理解できる。
実際あれは、そそられる。]
― サロン ―
[各々の挨拶が交わされ、座が和らぐのを見計らってアプサラスの傍らへと移動する。
ジークムントが所在無さげにしているのは気になっていたが、
[自分が来る前に兄が何をしていたかは知らないけれど、自分にとっても彼女は親しい姫である。
上体を傾けて、久闊を叙した。]
お訪ねくださり、光栄です。
月日の流れはあなたの美しさを変えることはないけれど、あなたを飾るものを育てました。
後で、一緒に庭へおいでください。
前回、私とあなたで核を仕込んだ淡水真珠を開けてみましょう。
[談笑の最中、ギィに兆した異変を感じ取る。
玲瓏たる刃を思わすその閃き。]
話の途中、失礼。
私の杞憂であればよいのですが──
ヴァンス。
客が来る。
―――どうやら、我らに用があるようだ。
[音ならざる声で弟に囁く言葉には、隠しきれない歓喜が潜む。]
あなたは、招いていない者まで"客"と?
いずれにせよ、お迎えせねば。
[こちらは歓喜ではなく、冷徹な色を帯びる。]
[兄の念を受けて立ち上がるタイミングは鏡像のよう。]
私が出る。
[宣言したのはゲートキーパーとしての役目。
客人の安全は第一に考慮されねばならぬ。
また、やってきたのが賞金稼ぎの討伐隊であれ、遺恨を掲げる魔物であれ、いまだ人界に未練を残す態のジークムントやシメオンに会わせるのは得策ではあるまいとの判断。
が、理屈で、好奇心を宿した兄を止められるかどうか。]
[足を踏み出さんとすれば、不意に張りつめた閉塞感が城を覆う。]
これは──…
[今までに経験したことのない力。
“結界”と断じた城主の言葉に、唇を弾き結ぶ。]
[引き下がる兄ではないと思っていたけれど──
バルコニーへと向かう背を見やる眼差しに苦みはない。
本心では、闇を翻して舞い降りる
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