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―回想・箱舟前―
[撫でていた馬が急に頭を上げた。
何かに気づいたように。
必死に彼らをどうしようか考えていたオクタヴィアだったが、その所作に気づき視線を向ける。]
どうしたの?
[優しく語りかけると、馬はちらりと此方を見て、そして―
ぶるぶると首を振った。]
[―するとどうだ。]
…えっ!?な、なに!?
[馬の額に当たる部分に光の粒子が集まり、瞬きする間に、立派な角へと形作られた。
思わず背から手を離すが、不思議な―見えない手のような風に煽られ、逆にその背に捕まる体制になる。]
っな、なんなのよ、これ…きゃああ!!
[誰が押したのかと怒りをあらわにするも束の間―
―馬が駆けだした。]
[馬は空へと昇らず。箱舟がやってきた方角へ―
どんどん、どんどん速度を上げて走っていく。]
止まりなさい!この…っ
[振り落とされないよう背に跨り、立て髪を力一杯引っ張るがびくともしない。
振り返ると、天界がどんどん遠くなっていく。
清浄な空気から、薄汚れた―慣れ親しんだ空気へ―落ちていく。]
―地上・泉―
[必死の格闘も虚しく、角の生えた馬の脚は地上へと着いてしまった。
全身に汗を掻きながら、今はその背に乗っているしかない。
そうしていると、いつしか周りは鬱蒼とした森の木々が連なり、天界のとは質が違うが綺麗な空気が肺へと流れ込んだ。]
…なんなのよ、一体…。
[その馬が足を止めたのは、泉のほとり。
背から降りて、その場に座り込む。
果てもなく高い木々の隙間から零れ落ちる光では、時間など計れず。
綺麗な泉の水を両手で掬い、顏にかけてみたが、…感覚がある。夢じゃなかった。更に落ち込む。]
[角の生えた白い馬に視線をやっても、つーんとおすまし顏だ。]
……とりあえず休もう。
[有り得ない事続きで精神が参る前に、一休みすることにした。
近くの大きな木の根元に座り、幹に体を預けて瞼を下ろした。**]
[目が覚めると、膝に重みを感じた。
それが此方へ無理やり連れてきた馬の頭だと知ると、ため息をつく。
起こさぬよう持ち上げてから立ち上がり、辺りを見渡した。]
一体此処は何処なのかしら。
[自分の前にいなくなった者が居るとは知らないが、流石に何人もが居る前から忽然と姿を消したら探しに来るだろうと考える。]
[動物の気配は感じられず、葉の音がこすれ合う音のみが届いてくる。
近くを散策して使えそうな木や葉、つるを集めながら思う。]
地上の生活も悪くないけれど、私はこっちでは殉教者…
死人、だからね。
[自らの死に際を、今でも目を閉じれば鮮明に思い出すことができる。
だがすぐに思考を切り替えて、集めたものを泉のほとりへと持ち帰った。]
まあ、これだけあればできるわよね。
[枯れ木の中でも幅が広いものを選び、そして頑丈かつ長くて細い枝を一本。
枯草をかき集めて山盛りにし、その上に幅広の木を置いた。
そして棒状の枝を押しつけて―]
……どりゃああああああああ!!!!!!!!!!
うりゃあああああああああ!!!!!!!!
こんちくしょーめーえええええ!!!!!!!
―ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ!!
[棒を両手で挟むと勢いよく前後へ回転させる。
気合をいれないと掌が痛くてたまらない位の強さと速さだ。
そこには聖女の面影などなく、ただ自然環境の中生き延びようとする一人の女の姿があった。]
あのいけすかねークソ天使め!
私の話聞けっての!
人が下手に出てれば調子づきやがってー!
乙女の肌に痣つけるたぁいい度胸だわ!
今度会ったら牢にぶちこんでやるー!!
[堪ってた鬱憤を晴らすべく叫びながらも手は休めない。
むしろ板は敵だ。敵なんだ。敵に穴を開けるのは道理に敵うんだ。]
っはぁ…
[最初はただ板が削れるだけだったが、暫くして黒く染まり始める。
そして僅かな煙が立つのを見逃さず、それを枯草のほうに落とした。
削りかすに枯草をかけ手で覆い、丁寧に丁寧に息を吹きかける―]
―パチ、
―ぱちぱち……
[火が、点る。]
[後はあらかじめ組んでおいた枯れ枝と枯れ葉の山に突っ込むだけだ。
細く長い煙が、天へと昇っていく。
そして焚き火の周囲はほんのり明るく、そして暖かくなった。
人は灯りがあるだけでかなりの精神的安楽を得ることができる。
それと同時に煙を頼りに迎えの天使が来ることも期待できた。]
はー、汗かいた。
[そこまで終えるとおもむろに服を脱ぐ。泉の綺麗な水で揉み洗いをすると、近くの木の枝に掛けた。
そのまま泉の中へと身を沈めた。
少しくらい離れても火は途絶えないだろう。]
[リボンを解き長い髪の先が浸る程の深さがある場所まで進むと、水面へと視線を落とす。
木の葉の間から僅かに顔を出している月が、浮かんでいた。]
ああ、だから静かだったのね…。
[天界では時間の概念がなく、眠りたいときに眠っていたから。感覚が掴めなかった。
両手で月を掬う。
けれど指を広げたら、泉の水面へと零れてしまった。]
[オクタヴィアが幼い頃に体験した一連の出来事は、信仰心のみならず彼女の在り方まで影響を及ぼした。
村人に助けられてから彼女が学んだのは、一人でも生きて行く術だった。
孤児はこの時代珍しくもなく、教会である程度大人になるまで養育されるものであるが、それから先は自分の力で生きていかねばならない。
主に祈りを捧げるだけでは腹は膨れない。自らの手で、主から恵まれし品々を糧とし生きていかねばならない。
だから修道女に止められても、彼女たちの手伝いを率先して行い、生活の知恵のみならずさまざまな知識を得た。
先程の火起こしも、道具に頼らず生き抜く術として学んだうちの一つ。
いつまた戦火に巻き込まれ、身体ひとつで野に投げ出されるかわからない。
また運よく生き延びられるとは限らない。
―オクタヴィアの幼少期は、常に死のイメージが背中に張り付いた鬱々としたものだったが、そのおかげか心も体も逞しく育った。]
懐かしいわね…。
いじめっこをお手製の弓矢で追い払った時は、偉く怒られたものだわ…。
[自分を不幸だと思ったことはなかった。
親に愛され、恵まれた生活をする子供をうらやむことはなかった。
むしろ私は様々な機会に恵まれたのだ。
そして主の意志を、愛を、身近に感じることができた。
いっそ誇らしく思ったものだ。]
[そうして少女時代を終えたオクタヴィアは、教会から出て一人旅を始めた。
得た信仰心や知識を行く先々で伝え、あるいは新たな知識を身に着けていった。
無知は決して罪ではない。
知る喜びを、自らの手で未来を切り開く素晴らしさをもっと広めたいと考えた。
荒んだ人々の心に豊かさを取り戻させ、主の愛を身近に感じさせる。
あの日生き延びた自分がすべきことを見つけた彼女は、活き活きとしながら大陸中を旅して回った。]
[いつしか彼女は聖女と呼ばれるようになった。
いくら金を積まれても、どこの国にも軍にも属することなく。
救いが必要な者すべてに、分け隔てなく接し、不埒な者には毅然とした態度で立ち向かった。
野生味あふれる本性を隠す穏やかな笑みは、旅の中で身に着けた。
女に母性を求める者は少なくなく、オクタヴィア自身も亡き母に自らを重ねた部分もあったかもしれない。]
…ま、誰も見てないし…。
[ざっぱーんと水しぶきを上げながら泉に潜ってはしゃぐ。
…つまるところ、こちらが素であった。*]
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