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たとえ死の谷を歩むとも
私は闇を恐れはしません
私の魂は主と共にあります
たとえ悪しきものが私を傷つけようとも
私の魂は安息のうちにあります
私の身体は砕かれ焼かれても
私の魂を毀つことはできません
[己を励ますために唱え続ける聖句は、
陶酔のいろを深め、力強さを増していく。
その強さは命をくべて燃える火だと、知る者が見れば気づくだろう。]
[箱舟の表面が波打つように見えた。
しかし、それは正確な表現ではない。
波打ったのは、無数に書き記された聖句の文字だった。
書き連ねられた文字が浮き上がり、細くほどけて白い糸のようになる。
それらの糸は互いに絡まりながら、次第に箱舟を覆い始めた。
遠望するならば、上昇を止めた箱舟が舳先から少しずつ繭に包まれていくようにも見えただろう。]*
[刃が引き抜かれ、吹き上がった血もまた光へ変わる。
体から急速に、熱が失われつつあった。]
あなたを、ゆるします。
[血の泡と一緒に吐き出した言葉は、彼に聞こえただろうか。
あるいはもう、声になっていなかったかもしれないけれど。
ともかくも、務めを果たした今は、安らかだった。]
私は───大いなる日を 恐れません
私の魂は 主の右手に 置かれるからです …
[天上への囁きも間遠になっていく。
燃え尽きるのも間近だろう。]**
[黒き帆船から流れ落ちた水は滝となり、箱舟の側面を洗い流していく。
途中で散った雫が陽光を含み、ほんの一時、虹を掛けた。
舳先に横たわる天の子の身体もまた、己の流した血と聖句の変じた糸とによって、小さな繭に包まれつつあった。
蒼穹の眩さに穏やかな影が差し、気配の方へと頭が傾く。
そこに浮かぶ姿を見たか、あるいは視覚以外で感じたか、
唇は幸福の笑みのままにあった。]
ありがとう ございます。
シメオン、 シュネーグレックヒェン さま 。
[喉震わせるも叶わぬ肉体の代わり、魂が名の響きを確かめる。]
よければこれを 、
首飾りを、 師父… ナネッテ さまに 。
[玲瓏な響きを受けて、魂は歓喜に舞い上がるようだった。
褒めてもらえた、と、心が弾む。]
お役に、 たてました …!
[その声を掛けられたということだけで、
痛みも、苦しさも、消えていく心地がする。]
[安らぎのなかで眠りに落ちかけ、
惜しいというように意識だけがまたふわりと浮かぶ。
優しさに包まれて、無邪気に笑った。]
[ 夢、 夢を、 見たことがある。
昔のことだ。
夢だったはずだ。
温かく柔らかな場所から引き離されて
暗く重いところへ置いていかれた。
ここは、自分の居場所じゃない。
かえりたい。
小さな体は、訴えるすべを知らなかった。]
[暗くて不安で押しつぶされそうで、
けれども泣かなかったのは、手があったからだ。
やさしい手。
あたたかなひかり。
少しぬれた、くちびる。
そのひとが触れたところから糸が伸びて、
どんどんと伸びて、どこまでも繋がって、
自分は、ひとりじゃないと知った。]
[糸が繋がっている限り、
必ず会いに行く。来てくれる。
どれほど離れていても。
たとえ世界が、時間が違っても。
糸は途切れず繋がっている。
だからいつだって、ひとりじゃない。]
[その糸は、今だって繋がっているから。
祝福を受けた魂から、真っ直ぐあなたに伸びているから。]
目を覚ましたら、また、
迎えに来てください。
待っています。
[こうして今も、撫でてくれる手があるのだから、
どこに落ちても、怖くはない。*]
― 箱舟 ―
[黙示の天使と天軍の長が降り立ったころには、既に肉体の鼓動は止まっていた。
意識だけが名残のように留まっていたが、それも間もなく離れるだろう。
小さな繭の中には、静寂が満ちていた。
それでも光の集まるを感じてか、繭の糸が淡く明滅した。
息づくように。嬉しいと囁くように。
眠る赤子が、頬つつかれて微笑むように。]
[まだほんの赤子だった頃、
眠りに落ちるまで手を繋いでいないと泣きだしてしかたがなかったのを、"兄"は覚えているだろうか。
手を繋いでくれるものがいなくなったあと、諦めたように泣かなくなったのを知る者はいるだろうか。
繭の中は、今は静かに眠りの中。*]
[声はなく、微かな波だけとなった意識は
聞こえてくる声の意味を拾うこともなく、
───ただそれに触れているだけでうれしいと、
そんな揺らぎを最後に、静かになった。]*
[魂の、いちばんまんなかが眠るのは、いちばんさいごのこと。
やくそくの言葉に安心して、
笑みの気配に同じだけの笑みを返し、
やさしい響きを抱きしめるようにして、眠りについた]*
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