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18人目、情報将校 ミヒャエル が参加しました。
情報将校 ミヒャエルは、人犬 を希望しました(他の人には見えません)。
― 回想 ―
父が死んだ。
戦場ではなく、屋敷のベッドの上でだった。
フェーダ公国海軍を率いて出陣すれば必勝と、かつては内外にその名を知られた海軍大将も、流れ続ける時には勝てなかった。
七十を越えてからは歳を数えるのを止めたという男は、見下ろしてみれば、萎びた枯れ木のようだった。
『かえりたい』
老人は呟く。
『どこへ? あなたの家はここではなかったんですか?』
枕辺に座った俺がそう問うと、白く濁った眼が宙を彷徨う。
『ふるさとだ』
そう答える声はまだしっかりしていたようだった。
『俺たちの帰る故郷にだ。あの海を越えて、俺たちの祖は何百年も昔にこの国に辿りついた』
それは、気まぐれに《父》が本宅に戻るごとに、酒を飲むとしていた与太話だった。
『俺たちの祖は海の民だった。
遥かな海に漕ぎだし、櫂を奪おうとする藻の原を切り開き、襲い来る荒波や人食いの大鮫との戦いの果てにこの国に辿りついた。
まだ生まれたばかりの赤児だったこの国の夜明けに立ち合い、成り立ちを助けた。
うなばらを駆ける白波の上では、祖の男たちは決して負けなかった。
その武力を国の古族に都合してやり、そうして、海を越えて着いた国の端に森を手に入れたのだ。
森の恵みを、根付く大地の上に築く住まいを、森を拓いて耕した地に実る金の穂波をだ』
『……まるで見てきたようにおっしゃる。その頃まだあなたも生まれてはいなかったんでしょう?』
俺がそう言うと、老人は唇の端を歪めた。
『どこから来たのか、どこへ帰るのか。迷わぬように、刻まれているのだ。我らの血脈にな』
褥から這い出した枯れ枝のような手が、自らの胸元を抑える。
左の、心臓の真上を。
『俺の帰る場所は……』
そう言いかけて、やめた。
老人が遠い昔から抱いてきた熱い望郷の念に、今際が間近いこの時にあえて水を差すこともない。そう思ったからだった。
あなたが海軍を指揮して数えきれぬ程の戦勝を上げ、その報償に得た沢山の領地はあなたの故郷に成り得なかったのか。
そもそも、海の向こうに帰るというのなら、なぜ来たと言うのだろう。
命の危機に晒されながらも。
何百年も昔の船や操船技術は現代の比にならぬほどに稚拙なものだったはずなのに。
『おまえ、情報将校になったそうだな。なぜ、海軍に入らなかった』
『……父上と比べられるのが恐ろしかったからですよ』
それは半分が嘘で、半分は本当だった。
本宅と士官学校しか世界を知らない俺には、知識が必要だったのだ。
父が海野原を想うように、俺にも帰りたい場所がある。そこへ辿りつく道を探すために。
『不甲斐ないことを言うものだ。お前もデンプウォルフ《狼殺し》の名を継ぐ者ならば胆に銘じろ。
俺たちは、狼を、森を領有する王を殺し、彼らが持つ恵みを引き継いできたのだ。
生きることは奪うということだ。
戦ばかりではないぞ。
獣を屠り、草の実や菜葉を食うことの一つまで、我らの手が血に汚れずに済むことなどない。
忘れるな。
俺たちの立つ地には何百何千の死霊が眠っている事を。
俺たちの血の一滴、肉の欠片の隅々にまで、食した命、倒した獲物、戦って滅ぼした敵らの霊力が引き継がれているという事を』
その言葉には、応えなかった。俺はただ曖昧に老人を見つめていただけだった。
父が亡くなったなったその年、大公が暗殺された。
王太子も、軍務大臣も。そうして、長く父が倦み続けたシュヴァルベの春、和平は消え去り、彼の過去の栄光を支えた艦隊も水底に沈んでいった。
あれほど望んだ戦の場にも戻ることはなく、誇りにしていた大戦艦も尽く海の藻屑と消えたいま、老人の魂はどこにあるだろう。
帰りたいと望んだ場所へ、胸の奥処に刻まれているという地へと辿りつけたのか。
……俺は、未だに見つけられずにいる。
そうして、かつて見た野焼きの炎に包まれただけのように見える領地のあちこち、自国のそこかしこで戦火が広がり続けていくのを見つめている。
人が生きるに戦いを避け得ないというのならば、ただ生きているだけで何かを奪い続け、すでに滅ぼしてきたというのならば。
これは、どうしようもなかったというのだろうか。
あるいは。
かつてこの国がまだ生まれたばかりの赤児だった頃からも続いた戦いで流された、幾千幾万もの人々の、
この地に染み込んだ夥しい血潮が齎す呪いだとでもいうのだろうか……。*
― 公国軍前線近く ―
[ 乾いた風が、微かに隆起した丘陵から見下ろす台地へと吹き下ろしている。
かつては、馬達が喜んで食んだ柔らかな草の青い匂いと、花々の甘い香りに満ちていたそこに漂うのは、金錆びた血臭と戦火に焙られた家々の残骸から立ち上る煤煙ばかりだった。 ]
はい。
[ デンプウォルフ大尉、と呼ぶ背後からの声に応えて振り返る。 ]
いえ、……昔の馴染みを思い出しておりましたもので。
『駐在武官を希望していたとのことだが、皮肉なものだな』
『デンプウォルフ大将の御子息が海軍に入らないと聞いて不可解に思ってたが、事前情報があったのか?』
『戦艦壊滅を免れた幸運は続かなかったらしいな』
[ 荒んだ口調で叩きつけるように言ってくる男を、軽く上げて手を振って遮った。 ]
……泥沼の戦いに疲弊した将校らが、首座から新規に補充される兵員を罵倒することで心身のバランスを保っておられると小耳に挟んでおりましたが。
事実のようですね。
なぜ、国家情報局員が前線にと仰いましたか?
防諜と同時に、心身ともに消耗する兵士の問題に当たるのも我らの仕事ですよ。
― 回想 ―
駐在武官を志したのは、あくまでも武勇を重んじる家風に則ったからだ。
デンプヴォルフ家の伝統として、家督を継ぐ嫡子には、一定の武勲を上げ、佐官以上の階級を務めることが求められる。
海兵隊も騎兵隊も、大公近侍の道が約束される近衛隊さえ避けて情報将校に拘ったのは、内地のどこかにある《帰るべき家》を探すという目的ゆえだった。
士官学校を卒業してすぐに国家情報局に入局、防諜部へと所属した。
自国に入り込もうとする間諜に目を光らせ、防ぐ部署であれば、国内の情報は手に入れやすかった。
かつての士官学校の同窓生、先輩方の同国人が現在どこで何をしているのかは、ほぼ全てを把握していたと言ってもよかった。
しかし、国内に見当たらない人物と、自国の諜報部が外地でどう活動しているかは視野の外だった。
知った時には、全てが終わったあとだ。
入学時に偽名を用いていなかったノトカー・ラムスドルフ。彼自身を除きその家族の全てが、妹の婚約者であった公国人の間諜によって殺害されたと知ったのも、開戦後のことだった。
ノトカー……
緑に覆われた草原、燕が春を告げる、うるわしのシュヴァルベ。
夏は海で泳ぎながら、秋は草紅葉を踏み、長い冬は暖炉の前で語り明かした日々。
そうして、死のように白く凍りついた冬の終わり、春一斉に萌えいずる草原をどこまでも友人達と馬で駆けた。
[ 胸元を探る。
いつの年だったか、バザールで探して見つけられなかったと話した金色の宝石を彼に貰った。
そのペンダントは古びた鎖に繋がれて、今も制服のした、鎖骨の前に下がっている。 ]
― 帝国首座・国立病院 ―
[ 眼を閉じて褥に横たわる青年の姿を、枕辺から見下ろした。 ]
……やぁ、ステファン。久しぶりだ。
もっと早く会いたかったな。
[ 青ざめた頬はすでに生気の殆どを失っているように見えた。
二年前に父の病床に漂っていたのと同じ死臭をぼんやりと感じながら、聞こえるはずもない言葉を彼に掛けている。 ]
……シュヴァルベに行くことになった。階級は一つ上がるが、事実上は左遷かな。
太子殿下、軍務大臣、そして今回の事件。どこまで帝国が関わっているのか全容はわかっていないが、防諜部の不明は明らかだ。
前線にこそ重要な情報、そして人物も配されている。トルステン殿下も然り。それを狙う不届き者を監視せよとね。
……俺たちのシュヴァルベは、あの士官学校は今、どうなってるだろう。見るのが恐ろしい。だけど、俺は知らなきゃならないんだ。
またな。
……また会えたら、美味しい紅茶と珈琲をご馳走してくれよ。
[ そう囁いて、病室を後にした。 * ]
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