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― 大通り ―
[乱暴に扉が開いて、並んだ邸宅のひとつから引き裂かれた衣服を纏った女がまろび出てくる。
そのすぐ後から、血まみれの男が飛び出して、女に掴みかかった。
二人は揉み合い――ウッと呻いて男の体が硬直し、女の上に倒れ込んだ。
男の頭から突き出た緋色の矢を、女は呆然と見つめた。狂気に血走った目を、キョロキョロと落ち着きなく動かす。
不意に背後から、しなやかな腕が女の頭部に巻きつき、ガッチリと拘束する。
恐怖にもがく身体が引き倒され、岩の如き重みが四肢に乗った。]
お前に慈悲をくれてやろう。
[囁かれた言葉が脳に到達する前に、喉に灼熱の痛みが走り、女の意識は深い闇に落ちた。]
― 大通り ―
[装いを整え、各々武器を携える頃には、男女の骸は溶けて消え失せいた。
見回すと、そこかしこで先ほどと似たような光景が繰り広げられていた。
親が大事に懐に抱きかかえていた我が子にかぶりつき、
子が老いた親を殴り倒す。
夫が妻に噛みつけば、
妻は包丁を手に夫に斬りかかり、
仲の良かった隣人同士が喉笛を噛みちぎろうと取っ組み合う。
身を寄せ合って怯えていた住民たちが、今は互いの血を求めて相争っている。]
そうだな。
[ぬるい微風に鼻先を晒し、猟犬のごと血の香を嗅ぐ。]
人が多いのはこちらの方だな。
[視線を向けるのは教会のある方角。]
だいぶ多くの血が流れたから、分かりにくくなってきている。
急ごう。
忌々しい坊主ども、祓魔師、聖堂騎士。
ウェルシュ卿の言っていた、吸血鬼狩人もいるかも。
[謡うように節をつける。]
それならば、公に献上するに足る供物になるだろう。
鎮まれ。
[戸口から響いた声に、群衆は動きを止めた。
叫んでいた者も泣いていた子も、これまでのパニックが嘘のように口を噤み、足を止め、切り取られた夜を背に、篝火に照らされたふたつの人影を凝視する。
そっくり同じ鏡写し、片方は弓を携え、片方は剣を提げた、戦装束の若武者。
瀕死の呻き声だけ残して静まり返った聖堂に、若い声が朗々と響き渡った。]
お前たちはここで何をしている。
― 教会・大聖堂 ―
[沈黙を破ったのは、教会の司祭だった。
酷く青ざめ震えながらも、神の御名において立ち去れと、十字架を掲げ、戸口の化物たちに命じる。
城の司祭たちが襲撃に無力だったと聞いてなお立ち上がったのは、信徒を導く立場の責を思い出したか、それとも自ら犠牲になりに外に出た聖女を黙って見送ったことに後ろめたさを感じていたからだろうか。
次いで、武装した騎士ふたりが悲壮な顔で剣を構え、その前に立った。教会を頼むという上官の命>>1:126に従ったのだ。
彼らは既に吸血鬼の法外な力を直にその目で見ていた。まさしく決死の覚悟だった。]
[やがて民衆の幾たりかが、双子が一向に聖堂の中に入ってこないことに気付いた。
ひょっとして、化物たちは教会の中には入れないのではないか――半端に頭の回る愚か者が、そう思い至り。]
『あ、あ、あ、あいつは言ったぞ!! 俺たちに手を出さないって!』
『そうだそうだ! 女吸血鬼が約束したんだ! あんた方は俺たちに手を出せないはずだ!』
『聖女様が身を捧げて下さったんだ!! 俺たちのために!!』
[上擦った声で言い募る様は、調子外れの輪唱のよう。
血相変えた騎士たちが、慌ててやめろと叱責したが――もう遅い。]
その方は何と仰った?
お前たちの身の安全を保証するにあたり、何を条件としたのだ?
[静かな声色であったが、騒いでいた者たちは一斉に口を噤んだ。]
― 教会・大聖堂 ―
[戸口に陣取る化物が一匹減ったとて、
沈黙に包まれた堂内で、家族ごとに固まってひしと身を寄せ合うのが関の山だ。
が、その静寂も、残った双子の片割れが彼らに冷淡に告げるまでだった。]
尊き御方は、約束の対価は受け取っていない、と仰られたぞ。
お前たちの聖女は、手を取らなかったと。
[息を呑む音。
すぐに絶望の呻きと聖女に対する罵声が沸騰した湯のごとくに湧き上がった。]
[何故だ、もうダメだ、やっぱり命が惜しくなったんだ、アイツだけ逃げやがって……
ひとつひとつは小さな呟きでも、聖堂の天井まで届くうねりは波、]
全くお前たちはどこまでも度し難い――
[双子の怒りの滲んだ呟きに、殆どのものが気付かなかった。]
[シルキーの身の上は先ほど告白である程度聞き及んでいたが。
彼女の、感情の窺えない冷静な態度に、揶揄するように片眉を上げた。]
……ではどうなろうと意に介するところではないと?
怒る?
[心外だと目を丸くした。]
僕は、弱さを弱いままで良しとする怯懦が嫌いだ。
弱いのは致し方ない、
だが、強くあれないことを理由に、一切の強くあろうとする努力を捨てるのは、怠慢と言うんだ。
自らは何事も為さず、他者に己の意志を預けて恥じず、弱さを免罪符として怠惰に安住するのは、醜悪以外の何ものでもない。
そういった醜さを、僕は一切許すことができない。
[見た目通りの若い潔癖さ、激しい口ぶりで吐き捨てた。**]
お前は……これから「何か」があると分かっていて、あそこへ入るのか。
僕はお前がいたとて、一切斟酌を加えないぞ。
[少し目を掛けてやった程度で、よもや特別な存在になったと自惚れてはおるまいなと、視線に圧を籠める。]
[
『一か八かだ。どうせ死ぬなら行くよ』
気っ風の良い踊り子がすっくと立ち上がった。同僚の若い娘を抱えて逃げ込んだ当初は、何故卑しい女が教会にと、散々白い目で見られたものだ。
『吸血鬼がいい男ばかりてんなら、最後に美形の顔を間近で拝んで死ぬのも悪くはないさ。ひょっとしたら逃げ出せるかも知れないしね』
同僚の娘に片目をつむって見せ、軽口を叩く。そうして女王のように堂々と、人々の間を縫って歩いて行った。笑みを湛えた口の端は、微かに引き攣って震えていたが。
ねえさん、と叫んで、若い妹分が後を追った。彼女は最後に自分たちを蔑んだ者たちを睨んでいった。
『にょ、女房と子供を助けてくれ! た、頼む!』
今にも死にそうな顔色の石工が立ち上がった。取りすがる妻と愁嘆場を繰り広げつつ、ぎくしゃくと歩き出した。
老い先短い命だからと、声を上げた老人がいた。
私はどうなってもいからこの子だけはと、泣いて訴える母親も、
大工の親父の言う通り、ここに居続けるのは何かヤバいと直感して、迷いながらも外に出る決断をした者もいた。**]
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