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―霊安室―
――……、すみませんが、ここで今しばらく。
[ゆっくりと、彼女の亡骸を横たえて]
ところで、これ、約束のものですが――、
[手にした鍵を、胸元で揃えられた手に、握りこませて]
……これ、返すんじゃないですから。預かっていてくださいね。
ちゃんと戻ってきて、返してもらって……そしたら、五十年後あたりに、改めて返しにいきますからね。
[そう、物言わぬ相手に、語りかけた]
……、……ところで、少佐。
[――後ろ髪を引かれなかった、といえば嘘になるが。
知らぬ間に亡骸となっていた、幾人もの空ろが安置されていた部屋を出て]
……副長は、敵が主計科の倉庫に篭ったと言ってましたが。
これだけやってくれた連中が、どん詰まりに入り込みますかね。
なにか、隠し通路みたいなものは……、
いや……あるわけないですな、軍艦に。
[また、嘆息]
……副長の言葉どおり、主計科倉庫に向かいますか?
[これまでと同じように、確認のかたちで少佐に問う。
もっとも、自分に、他に選択肢があるかといえば――それこそ、大花火大会In戦艦ヴィスマルク主砲弾薬庫、くらいしかないのだが]
通気口ですか……、
……それなら、そこから逃げるというでもないか。
籠城ってのは、そこそれ自体が重要な場所でもなければ、あまり良策じゃあないはずなんですがね。
……味方のために時間を稼ぐか、それ以外に手がないときくらいにしか。
[主計科倉庫が重要とは思えない。そこまで追い詰められているとも思えない。
なら、他の味方のための時間稼ぎだろうか。
たとえば、ジャンを襲ったという砲術長などの]
ああ、エーレンブルグ大尉……、
……確かに、何をしているやら。
先の放送で、司令塔に連絡してきても良さそうなもんですがね。
[ローレルの言葉に、同意を示した。なんといっても、あの大尉は部外者だ。
艦隊のなかで、わざわざ、このヴィスマルク目掛けて降りてきたという不自然な乗艦経緯もある。
最新鋭戦艦をトンボ釣り(※不時着水した機体の搭乗員を救助する駆逐艦のこと)代わりにするなんて。
予断は禁物だが、しかし、警戒すべきではあるだろうと、頷いた]
……シュタインメッツ?
ああ、はい、見張り員の中尉ですね。
[さり気なく階級を訂正しつつ、頷いて]
……難しいですな。
自分は、奴の人となりを、よく知りませんから。
まあその、電測班と見張り員ってのは、あまり相性が良くないもので。
[ただ、と]
……砲術長が副長を襲ったとき、奴も同行していたわけですからね。
そこで加勢せず、砲術長を追ったといいますから……工作員なら、不自然かと。
奴が連中の仲間なら、いま、副長が息をしてられるとは思えません。
[もうひとりの同行者、エーデルシュタイン少尉については、霊安室にその亡骸があったが。
シュタインメッツ中尉が敵ならば、そこにジャンの亡骸も並んでいただろうと]
いえ……11人、ですね。
[ローレルの言葉に、微かに首を振る。
無事だといい、と。そう願った言葉を否定することに、胸は痛むけど]
……エーデルシュタイン軍医少尉もいました、あの部屋に。
[あの部屋がどこかなんて口にするまでもなく。
その部屋にいたという意味なんて、ひとつしかない]
……、副長のところに急ぎましょう。
もう……誰かを、あの部屋に連れていくのは御免です。
[不意の接敵に備えて、拳銃を握って]
……あなたは死なせませんよ、少佐。
何しろ……もし少佐に死なれたら、
あの人の話を遠慮なしにできる相手がいなくなってしまうんでね。
[そう、冗談口に紛らわせて]
――ところで、ですね。
申し訳ないですが、いまは自分の指示に従っていただいて宜しいですか、少佐。
[階級はローレルのほうが上だが、彼女の少佐という階級は、技術者としてのそれだ。
士官学校を出ている自分が判断するほうが、今はいいだろう。
一応、士官学校の教育には、主として中隊以下の小部隊における陸戦指揮も含まれる]
――自分が先頭に立つから、ファベル少尉、君は後衛を務めてくれ。
砲術長ほか、別働の工作員がいる可能性は高いから、油断はするな。
また、副長からの連絡に、砲術長はトラップを用いているとあった。
もし異常を見つけたら、悪いが、陸さんの戦闘工兵みたいな仕事もやってもらうかもしれん。
[と、そう告げて]
少佐は自分についてきてください。
ただ、爆発物の件があるので、あまり自分に近付き過ぎないように。そうですね、数メートルは開けてください。
曲がり角では、一度止まって、安全を確認してから曲がります。
階段やラッタルを登るのはひとりづつ。
それから、開いている扉には注意すること。
[思いつけるのは、これくらいだ。なにか、見落としていないだろうか。
判らないが、指揮をとる以上は、自信ありげに振舞わなくてはいけない]
……ひとまず、こんなところですね。
あとは、道中で消火器を調達する必要がありますが……ま、各所に設置されてますから。
移動中は荷物になるんで、倉庫に近付いてからでいいでしょう。
[と、言い終えて]
――……では、行動開始。
[主計科倉庫までの道順を頭に描いてから、一歩を踏み出した。
それが、自らの意思で戦いのほうへと進んだ、最初の一歩だった]
……よし、……、
[後ろの二人に、後ろ手で安全を示す合図を送る。
――もし自分がトチれば、自分だけでなく二人も死ぬ。
だから、眼球が飛び出しそうになるほど、注意を払って。
なにか物音が、自分たちの足音以外のなにものかの音がしないか、耳をそばだてて。
存在しない敵の影に発砲しそうになったり、ありもしない物音が聴こえた気になったり。
緊張と恐怖と重圧に押し潰されそうになりながら、それでも、足を前に運びながら。
――自分はどうしてここにいるのか、どうしてこんなことをしているのか。
現実に向き合っている自分とは、また別に。
もうひとりの自分が、そんなことを考え続けていた]
[――あのとき、本国からの退艦命令が転送されてきたとき。
あそこで素直に退艦していれば、こんなことにはならなかったのに。
そんなに命が大事なら、戦うことが怖いなら。
抱いていた疑問なんて胸に収めて、逃げてしまえば良かったのに――と。
そうしなかったのは、どうしてか。
ずっと持ち場を守っていたのは、どうしてか。
職業軍人としての責任感?
いやいや、笑わせるなよリエヴル・クレマンソー。
徴兵避けのために海軍士官になったお前に、そんなものはないだろう。
――ああ、そうとも。今なら判る。
上官があの人だったから、俺は持ち場を守ったのだ。
あの人に、きちんとした部下だと認められたくて。
あの人に、持ち場を放棄して逃げた臆病者と思われたくなくて。
だから、自分は逃げなかったのだと、今ならはっきりと自覚できる]
[――うん? ああ、だったら、もう逃げてもいいじゃないかって?
これ以上、格好をつけたって仕方ないじゃないかって?
――生憎、残念ながらそうじゃない。
通信科員は全員が、正式な命令のあとで整然と退艦した。
あの人の部下のなかで、たった一人だけ逃げた男になるわけにはいかないのだ。
それに、逃げてしまったら、あの人との約束を守れない。
もしかしたら、あの人にとっては、いつものからかいだったかもしれないけど。
でも、俺にとっては。
それを守ることは、命を張るのに充分すぎるくらいの理由になるんだろうさ]
[そう――確かに、俺は臆病者だけれども。
でも、卑怯者になるつもりだけは、決してない。
――いつか、あの人と同じところへいったとき。
きちんと胸を張って、鍵を返して。そうして、あの愛称で呼ぶ約束を果たすために]
―艦内通路:主計科倉庫近辺―
――……、
[遠く聴こえてきた物音に、足を止め。
後ろの二人を手招いて、小声で喋りはじめる]
……じき、主計科倉庫です。
そこの消火器を持っていきましょう――少佐、お願いできますか?
[体格だけなら、ファベル少尉に運ばせるべきかもしれないが。
後方の警戒を任せている少尉の片手を塞ぐのは、出来れば避けたいところだったので]
……いま、副長に連絡します。
工作員と間違えられて撃たれたら、堪らないですからね。
[そう言って、通信機に口元を寄せた]
――クレマンソー大尉より、副長。
じき、そちらに到着します。数分はかかりません。
小官ほか、バルサミーナ少佐、ファベル少尉の三名です。
全員、拳銃は携行してます。ご指示のとおり、消火器も。
――……さて。
[副長への、到着予告を終えて]
……ファベル少尉、ちょっといいか。
[ローレルに聞こえないよう、小声で]
――少佐は、命は等しく尊いといった。
あれはあれで正しい。少佐みたいな人は、世の中に必要だと、俺も思う。
ただし……君には、命の優先順位を伝えておく。
そういう考え方に君が同意できるかできないかは、聞かないでおく。
――だから、これは命令として達する。
第一に少佐、次に副長だ。その上で余裕があれば、己の命を守れ。
ああ、俺のことは気にしないでいい。復唱は不要、何か意見は?
[と、そう少尉に確認する。異論がなければ、前進を再開することになるだろう]
[ファベル少尉の反応は、どうだったろうか]
――……正直、俺だってこういうのは趣味じゃない。
だが、指揮を預かってる以上、軍人として話さないといけないんでな。
[嘆息して。そのあと、打ち明け話をするように]
……正味の所、俺だってな。
あの人との約束がなけりゃ、他人のために命なんて張らないよ。
[そうだけ、囁いた]
――阿呆。
[少尉の言葉に、複雑な表情で応じる]
――いいか、少尉。
俺の生き方は、放っておけ。
[そうして、続けられた言葉には]
俺が、生きるべき人か。
[あの人のいない世界で、生きる。なるほど、守れなかった自分には、相応しい]
……もしも、俺について、そう思うんだったらな。
貴様はその轍を踏むなよ、少尉。
[言って]
……、砲術長と参謀は亡くなられたようだ。
また、副長とシュタインメッツ中尉は、敵の挟撃を受けている。
副長によれば、別働隊は……エーレンベルグ大尉。
[ローレルとファベル少尉に、通信内容を伝えて]
つまり……そういうことだ。
副長と中尉と、フィッシャー少尉。それに、この三人。それ以外は、まず敵と認識していい。
――なんだっ!?
[たどり着けば、煙がもうもうと満ちる通路に、眉を顰めて]
――はっ……、副長、五秒後に伏せてください。
[通信機に向かって、言って]
――少佐、少尉。
[視線をやって、有無を言わせず]
一世紀前の戦列歩兵のようにやるぞ――、斉射用意ッ!!
[といっても、三人だが]
――撃てェ!!
よぉし、前進!!
[命じて、数秒ののち――ころころ、ころりと。悪夢のおにぎり]
――手榴弾!?
[引いた血の気は、しかし――副長が、抱え込んで]
――駆け上がれ!!
振り返るな、いけ、いけ!!
[――背後での。くぐもったような音だけが、全てだった]
――だからなんだ、中尉!!
薬剤で焼かれようが、死ぬわけじゃないだろう!!
いいか、中尉!
俺は電測員だ、肉眼の優位を示したかったら、今やってみせろ!!
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