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こうして、グロル海峡を巡る戦いはひとつの終わりを迎えた。
果たしてこの最後の局面に於いて何があったのかは研究者も資料も所説分かれるところであるが、ただ一つ言えるのはこの旗艦の衝突を機に、戦闘が停止したということである。
この後両国は───
── Rikhard Hannu Nigel 『グロル海峡戦役』 終章
不沈艦と呼ばれ、死神を追い払うと称された艦がある。
激しい戦いへと幾度も加わり、幾度も多大な損傷を受けながら遂に沈まなかった艦は、今は海洋史博物館のすぐ側で静かに余生を過ごしている。
この艦には艦長が舵を握り、副艦長が指揮を執るという、一風変わった伝統があった。
最初の艦長が舵を取って船を救って以来脈々と受け継がれた伝統は、この艦を幾度も救うこととなる。
特に、当艦が参加した中でも最も激しい戦闘では艦長の卓越した操舵と"人も艦も救う"と言われた副艦長の差配により、十数発とも言われる砲弾と水雷攻撃を受けながらも、ついに沈むことがなかったのである。
── 『蒸気船の歴史』 第二集:戦闘艦
帝国がこのころ、出自を問わずに才を取り立てていたことを示す例がある。
二代皇帝の時に滅亡し、帝国に併合されたオルヴァルという国出身の男が、四代皇帝の頃には将にまで位を進めていた。
彼が率いていた艦隊自体もまた、"本来の帝国以外の民"が多く所属していた。そのため、彼らをまとめる将にも同様の属性が必要だったのだろう。だが、帝国を相手に最後まで抵抗した兵を将にまで登用するのは、やはり異例である。
彼が祖国を語ることは多くなかったが、彼を知る者はみな、"不羈"を体現したような人物だと語っている。
── 『帝国に見る国家運営術』
"宵鳥が囀ると船が沈む"
これは船乗りたちの間で信じられているタブーを表す成句ですが、実はこのタブーの成り立ちにはいくつもの説があります。
もっとも面白い説が、この言葉はもともと"酔いどれが歌うと船が沈む"というものだったという説です。
この言葉にはモデルとなる人物がいることが知られています。とある国に酔うと鼻歌を歌い出す人がいたのですが、その鼻歌が"戦艦も沈む"と言われるほど強力?なものだったとか。
もちろんこれはただの伝説ですが、この人物が優秀な将軍であったことは歴史書を紐解けばわかるでしょう。
優秀で、かつ愛される将であったからこそ、こんなユーモラスな噂が生まれたのかもしれません。
── 『ことわざ・成句の読み解き事典』
帝国の歴史上、ただ一度だけ制定された官職が存在する。
扶翼官、という官職は、モルトガット帝国第4代皇帝の時代に当代限りの役職として制定され、たった一人が任に就いたのみで、以後任官の記録はない。
それもそのはずで、この扶翼官という官職には過大な権力が与えられていたと記録に残っている。
皇帝の全権代行者という強大な権力は、普通であれば権力争いやクーデターの種にもなり得る危険なものである。
これだけの権力を預けられるのは、人をして"一対の生き物"と言わしめた当代の皇帝と扶翼官ただ一組だけだったということだろう。
なお彼に関しては、「釣りをよく好んだが、生涯にただの一度も釣れたことはない」と正史に付記されている。
── 『官位・役職・階級の事典』
ウルケルの戦斧と呼ばれた人物がいる。
ウルケルの長い歴史の中でも、有数の危機を迎えた時代に海軍総司令官という職にあり、戦乱終結時には執政としてウルケルの将来を決める舵取り役を担った。
彼を称するに、戦斧と盾、という表現を用いることが多いが、ここでは"大海"という言葉を採ろうと思う。
部下に対しても敵に対しても、彼は等しく大きな懐で呑みこみ、自分の側に取り込んでしまうような大きさと深さを備えた男であった。
常に側にあって見守り、必要な時には確かに支え、怒るべき時には烈火と化す。
海に抱かれたウルケルにとって、彼こそがウルケルの海そのものであったと言えよう。
── 『ウルケル人物列伝』
彼はまさに太陽であった。
陽の沈まぬ国を目指し、海を駆けたそのひとこそが、天高く輝き続ける太陽だったのだ。
モルトガット帝国の皇帝となるべく生まれた彼は、幼少の頃よりその輝きで多くの人物を惹きつけた。
長じてからはなお高く、威光を掲げて国を導いた。
彼の姿は、彼を見上げる多くの者に希望を与え未来の予感を感じさせた。また彼と視線を同じくして地平を望みたいと心から望み、努力する者には、彼は惜しみなく手を差し伸べた。
彼を仰ぎ見ることで国も人々も前へと進み、より良い未来が訪れることを信じたのである。
彼の治世こそ、帝国が大きく輝きを増した時代であった。
── 『モルトガット帝国正史』
グロル海峡を巡る二国の争いは、双方が相互不可侵条約、友好条約、通商条約という3つの条約を取り交わす強い結びつきを得る形で終息した。
戦乱に始まった二国の関係がこれほどまでに良いものへと至ったのは、帝国皇帝と、ウルケルの海軍総司令、後の執政が戦いの中で互いを認め合い信頼し合ったからだとも言われている。
誇りには誇りを。誓いには誠意を。
3つの条文の頭に掲げられている言葉が、二国の関係を端的に表していると言えよう。
こうして手を取り合った二国は、こののち───
── Rikhard Hannu Nigel 『グロル海峡戦役』 〜 終 〜
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