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[ 喧騒を離れ、森の中へ走った。
野営地に戻らなかったのは、今やそこも安全ではないと考えたからだ。
力が支配する帝国で、戦いに負けた者への風当たりは強い。
この機会にファミルにトドメを刺しておこうと考える輩もいるに違いなかった。
今は魔術士たちよりもむしろ、帝国兵の方が危険だ。
ひとけのないのを確認してから、岩陰に身を寄せて、ファミルを岩にもたれかけさせる。]
[ 傷を改める手間はとらず、ポーチから予備の《ウル》を取り出してファミルの歯列の奥に押し込む。
皇族専用の庭園で育てられた純正な《ウル》だ。
あんな試作品とは違う。
脱力しているファミルが飲みくだせるとは思なかったから、自分の二の腕に刃を立てて流れる血を含み、唇をあわせて強引に流し込む。]
飲めば、きっと元気になる。
呪いになんか負けないでください。
[ 幼い頃から、二人きりで執り行ってきた儀式。
ファミルが目覚めないなら、自分の命を維持する必要もないとばかりに、ウル香る血を与え続けた。*]
[世界が揺らぎ揺らいで運ばれる。
流れていく光景は、悪夢が溶け出しているのよう。
含まされたものには気付かず、ただ触れる温度と流し込まれる生暖かさが心を揺さぶる。
口の中に溢れたものを、反射のように喉が飲み込み、
―――ようやく、意識が体に繋がった。]
……ブラト。
もういい。
[ウルが体を巡っている。
それがはっきりとわかるくらい、枯渇していた。]
[二度の変異と、ウルの消失で、体は消耗している。
腕を上げるどころか、息を吸うことさえ辛い。
注がれた血とウルが死の淵より体をすくい上げたのだとしても、本調子にはあまりに遠かった。]
ブラト。
私は、負けたのか?
[最後の記憶は混濁している。
忘れたいだけかもしれない。
金色の光が全てを覆い尽くし、拭い去っていった。
覚えているのは、それだけだ。*]
[ ファミルのこえが聞こえて、ほっとする。
血ではない熱いものが双眸から溢れたが、拭うより先に、ファミルを抱きしめた。
その肢体は、なんだかとても華奢な気がする。
何度も触れて知っているはずなのに。
今の彼の肉体は、溢れて押し返すような活力に欠けていた。
なんの魔法をかけられたというのか。]
[ 負けたのかと、まずそれを問う声に向き合い、視線を合わせる。]
相手は、まだ生きています。
[ 詳細は省いて、それだけ告げた。*]
[口を開き、声を作るのも億劫で、こんなに側にいるのに絆のこえだけで話している。
体調が優れない理由は、見当がついていた。]
私の中から、ウルが消された。
[先の戦いで、自分の体に起きた変化は、間違いなくそれだった。]
魔法が、ウルさえ消してしまうのなら、
私は、どうすればいいだろう―――…
[ウルの力に拠って立つ帝国は、いずれ転覆するだろう。
それよりも、自分が魔法使いを殺せなくなるのが辛い。
握りこぶしを作りかけた手が、はたりと落ちる。*]
[ ウルが消された、とファミルは言った。
普段からウルしか口しないような人にとって、それがどれほどの虚無をもたらすか。]
──あぁ、
[ 唇を噛み締める。]
学園にいた時、「世の中のすべてのことには、それを可能にす呪歌がある」と教わりました。
呪歌を使うだけでなく、それを見つけ出すことも魔術士のわざなのだと。
いずれ、ウルを消す呪歌もできてしまう、それは予測してしかるべきでした。
魔術士たちが、何故、リヒャルトらを生き伸びさせようとしたか、
その理由がわかった気がします。
彼は昔から、新しい呪歌を紡ぎ出すのが得意だった。
──彼らは、呪歌で世界を変えてしまったのですね。
[ 帝国がウルでそうしたように。対等の力を示してみせた。]
[ どうすればいい、とまだ動くことさえままならないファミルのこえ。
力なく落ちたその手をドロシーはとる。]
…私がおります。
方法は、一緒に考えましょう。
だから、言ってください、
すべてを、 可能に 。
[噛みしめるように、こえを紡ぐ。
どこまでいっても、魔法が上にいる。
ウルで人は空を飛べない。
炎や水も操れない。
望んでも届かないことを、連中は易々とやってのける。
所詮、ただの人間では敵わないのだ。
おこぼれに預かろうと請い縋り、
与えられるものをありがたがり、
奪われれば、見送るしかない。
幼い日の激烈な感情は、今も腹の底で煮えたぎっている。]
[動かない手が、温かな両手に包まれる。
同じ
私がおりますと、真っ直ぐに言う瞳を見返す。
そうだ。私にはまだ彼がいる。
すべてを失ったわけではないのだ。]
………そうだね。
私も、 まだ生きている。
[相手が生きていて、自分もまだ生きているのなら、戦いは、なにひとつ終わっていないのだ。]
連中は、世界をもう一度変えた。
それは認めよう。
奴らは、ウルを越えてみせた。
[相手を讃え、負けを認めるような言葉だが、こえには力が戻っている。
尽きせぬ憎悪を炎と燃やし、世界を従わせようとする意思が。]
二度変わったものが、三度変わらないはずがない。
先帝の
魔法など無くとも、人はすべてを可能にできるのだと証明してやろう。
[その暁には、魔法は過去の亡霊となるだろう。
そこへ至る道は今はわからないが、必ず見つけ出してみせる。*]
[リヒャルトらが去って行った後、岩陰からゆっくりと立ち上がる。
少しは動けるようになっていた。とても万全とは言いがたいが。]
ブラト。私を帝都に連れて行ってくれ。
伝令より先に帝都に行かないと。
[何よりも、自分の敗北が伝わる前に行く必要がある。
事実が知られて騒動になる前に、事を為し終えなければ。
自分が皇帝の座に居続ける選択肢は無い。
民も兵も、それを許さないだろう。
帝国は乱れるだろうが、知ったことか。]
ウルとアプルトンを確保して国外に脱出する。
ついでに、当面の資金もあるといい。
帝城におまえが懇意にしている庭師がいただろう?
あれもつれていこう。
信頼できる部下に接触できればいいが、時間に余裕がないな。
今は、おまえひとりがいてくれれば良い。
[
ええ、迅速に。
換金性の高い宝石は、こういうときのためにも収集の意味があるのです。
貴族のたしなみといったところですか。
それに、学園時代のおかげで、生活力とか商才も備わっているんですよ、私。
ここからの道行、お任せください、陛下。
[ ファミルが生きていて、世界に挑戦する意欲を抱きつづけていて、共にいようと言ってくれる。
それだけで何も怖くはない。]
ところで、陛下、と呼ぶと、いらぬ耳目を集めてしまう危険がありますね。
これからは絆の声でだけ、そう呼びましょう。
前にもお話ししたとおり、私の使う「陛下」と他の者が口にする「陛下」では、ニュアンスが異なるのです。
奴隷がいう「旦那様」と妻が呼びかける「旦那様」が別物であるのと同様に。
そこところ、しっかり聞き分けてください。
── 私の陛下。
[お任せくださいと言うきょうだいの心強さよ。
ごく幼い頃から研究所と軍にいた自分にとっては、市井は未知の場所だ。
きっと今まで以上に彼に頼ることになるのだろうと思うと、なぜだか少し面白い気がした。]
おまえの生活力に期待する。
私一人では、きっと何もできないよ。
[戦うことしか知らなかった自分だ。
この先、なにが待っているのか見当も付かない。
けれども、何があろうとも切り抜けていけるだろう。]
[呼び名の提案には、否などない。
彼の独占欲は、くすぐったいくらいだ。]
その呼び方には、おまえの嬉しいが籠もっているから。
好きだよ。
[絆で結ばれた彼だけが、私の世界に色をもたらす。
それは今も、これからも変わらないだろう。
他の者とのニュアンスの違いを感じるために、また「陛下」になるのも悪くないなと思うのだった。*]
― 逃避行 ―
[デメララ近郊を離れ、帝都へ向かう道中は容易なものではなかったが、ドロシーの献身でどうにか切り抜けた。
捜索隊の目をかいくぐり、小部隊で帝都に急行している者を口封じをかねて襲い、当面の物資(と服)を得る。
帝都に到着した後も、自分が城に行くのはあまりにも不自然だからと、ドロシーを使いに出した形ですべてを任せたのだ。]
おまえがいてくれてよかった。
[首尾良く目的のものを手に入れて戻ってきた彼へ、自然と感謝の言葉が零れた。]
[帝都を離れ、国境を越え、ようやく落ち着ける場所まで来たところで、きょうだいに一つ、頼み事をした。]
私の胸の傷をえぐり取ってほしい。
[学長の手による魔法の傷は、今も胸にある。
リヒャルトが訪れた時も、そこが疼いていた。
こんなものを残しておいては、かならず禍根になる。
いずれ消えるかもしれないが、可能性に賭けるのは危険だ。
こんなことを頼めるのは、彼だけだった。*]
― 逃避行 ―
[ ちなみに、逃亡生活でも、女装を止める気はない。
絹が綿や毛織物になるのは構わななかった。
素材を工夫しておしゃれすればいいだけのことだ。]
楽しいですよ、あなたが褒めてくださるから。
[ 奇襲も略奪も、同様に楽しんでやっている。
ファミルの指揮を受けられるのだ、楽しくなかろうはずがない。]
[ 胸の呪紋を抉ってくれと言われたときには、さすがに唇を引き結んだ。]
…そうですね、残すなら私の手でつけた傷であるべきです。
[ 少しずつ肉を削ぐような真似はしない。
ウルをきっちり効かせた後、ファミルに大胆な外科手術を執行する。
彼が動けるようになるまで、また背負って移動するのも悪くない。*]
― 逃避行 ―
[衣服が自由に手に入らない状況になっても、ドロシーは着飾ることをやめなかった。
絹が綿になっても、宝石がガラス玉になっても、楽しそうに身を装っている。
洋服のことはよくわからないけれど、彼が楽しそうなのが嬉しい。
どうしても欲しいものがあれば"調達"すれば良い。
それは多分、共通認識だ。]
[この体を傷つけるよう頼んだ時の彼は、さすがに嬉しそうでは無かったが、やはり彼に頼んで良かったと思う。
魔法の力で付けられた傷跡は、自分の失態を思い知らされるばかりだった。
けれども今、彼の手でつけられた傷は、彼との血のつながりをまたひとつ深くしたものだ。
ウルを飲んでいてさえひどく消耗する施術だったけれど、動けない間はまた彼の背に身を預けるのも悪くない。*]
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