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[若い兵を推薦するバルタを見ながら、昔に心が飛んでいる。
追憶と言うほどのことでもない。
思い出したというだけの、つまらない話だ。
7歳になったときに己の世界に入ってきた少年は、よくよく聞けば"英雄の息子"だった。きらきらしくて、周囲の期待もあり、将来も約束されているようなものだ。
"臆病者の子"であり、カナン・オルファヌス《孤児》とさげすむように言われていた己と比べて、なんて恵まれているのかと思っていた。
だからますます反発もした。]
[己の父が敵前逃亡の臆病者だったのは事実だ。
そんな臆病者のことなど記憶にも記録に値せず忘れ去られるのが当然であり、今となっては知る者も少なく、口に出されることはさらに少ない。
けれども当時は、少なくとも2つ3つ年上の連中はそれを知っていて、己を攻撃する口実にしていた。
当然、同年代の連中に自分から話したことはない。
だが彼はどこからかそれを聞いて、知っていた。]
だが、お前を失う危険があると見れば、俺一人でも後を追うぞ。
[ 後ろは引き受ける、が、譲れぬものはある、と、秘めたる声の更に奥深くに落とす宣ひとつ。 ]
お前を倒すのは俺だけだ。
忘れるな、カナン。
『俺は、お前にだけは、負けない...だから、お前は俺以外には、絶対に負けるな。』
[ そんな無茶振りをしたのは、横柄極まりない好敵手が、臆病者の子と呼ばれ、一部の年長者に蔑まれ、訓練中にも故意に痛めつけられることすらある、と知った時のこと。 ]
(お前は、お前だ。
俺が、俺であるように...)
[ 父親が英雄であれば、英雄となれと決められ、親が臆病者の刻印を押されれば、子にもその刻印を負わせる。
それを理不尽、と、その時はまだ、頭で理解したわけではなかったが、ただ、胸の奥が燃えるように熱かった。
それが、カナンという男が齎した最初の熱...そして恐らくは、対極に在った二人の心臓が繋がった、その始まり。 ]
俺の本当の名は、リトスだ。
[ そう呼べ、というわけではなく、ただ一方的に、教えたのも、その頃だ。
なぜ、教えたのかは今でも分からない。* ]
ふ。
俺がそう簡単に危険に陥るものか。
[胸の最も深いところに響く声は、快。
そうと口にしたことは無い。
けれども、相手の鼓動を感じるように、己の胸が高鳴るのも伝わっているのだろう。]
無論、おまえにも負ける気はないな、リトス。
[胸の奥の奥に響いたときだけ、その名がほろりと零れ落ちるのだった。]
初出陣の時、敵を深追いし過ぎて死にかけた奴が、どの口で。
[ 自分も一緒に死にかけたのだが、そこは棚に上げておく。 ]
だが、そうだな、お前は、こんな場所でどうにかなる男じゃない。
憎まれ子は世にはばかるというし。
[ どこまでも、男の言葉は素直とは言い難いけれど。 ]
その言葉、忘れるな。カナン。
[ 少年の頃に引き戻されるかのように、その名を呼ばれれば胸の熱も蘇る。
鼓動は一つに重なって久しく、互いに血を流す事があれば、同じ痛みを感じるかと、思うほど。 ]
(きっと...)
[ 彼が命を落とせば、自分も死ぬのだろう......そんな確信がある。
それこそ、死ぬまで、口にする気はなかったが。** ]
留守番専門部隊なんて名付けたら、士気に関わるよなぁ。
[一仕事終えた後の安堵と出陣の高揚とが相まって、声はむしろ気楽なものとなる。]
残していく300にはわかってるやつを付けておくから、気にせず動いてくれ。
必要ないかもしれないが、万が一にも船を壊されたら孤立の憂き目だからな。
警戒するに越したことはない。
出し抜かれるのを楽しみにしておく。
覚えているか?
[唐突にコエを飛ばす。
行軍中に何をと言われても仕方ないタイミングだ。]
俺が遭難したときのこと。
帰ったときのおまえの顔、あれはすごかったな。
[遭難中は泣きごとを言うのも無駄と、殆ど声も飛ばさなかった。
まともに状況説明したのは、トルーンで拾われた、と告げてからだった。]
[ どう見ても、あちらも戦場の只中であろうというタイミングで、飛んできたコエに、思わず苦笑が浮かぶ ]
ああ。覚えているとも。
[ けれど返すコエに動揺はなく。 ]
お前が、どれほど馬鹿なのか、あれ程思い知った時はないからな。
[ 実際に、戻ってきたカナンにもそう告げた。
自分の顔など自分では見えていなかったが、怒りながら泣くなと、怒らせた当人に指摘され ]
『泣いてなどいない!!』
[ と、ぶち切れて、殴りかかったのは...若気の至りと思いたいところだ。
実の所、今も同じことが起これば、どうなるかは自信がないが。 ]
...今度は俺が、遭難するかもしれんがな。
[ ふい、と、落としたコエは、弱音ではない、どこか悪戯めいた響きを含む。 ]
そう言うな。
ちゃんと負けずに帰ってきただろ。
[俺以外に負けるな、との無茶振りは、いつも心の底にある。
嵐にも海にも負けずに帰った俺えらい。と主張したのだ。
怒りながら泣いていると事実を指摘したら殴りかかられて、そのあとはうやむやになったものだが。]
ん?
なんだって?
[落ちてきたコエを聞きとがめて返す。]
お前、ひょっとして今船か?
そっちからも来たか。
まあ、来るよな。
[類推するに、そういうことだろう。]
お前に任せておいた俺の目に狂いはないということだな。
[胸を張った感が伝わるだろう。]
嵐相手に勝ち負けを主張するな。
そういうところが...まあ、お前らしいが。
[ 呆れたコエは、結局最後は吐息に紛れる。 ]
ああ、船の上だ。
来るに決まっている。
お前だってそう思ったから、俺に留守番させたんだろう?
[ 戦の中で交わすコエは、常より更に気安く少年の頃と殆ど変わらぬ口調になる。 ]
どうやら、王国軍の新しい頭がこちらに来ている。
覚えているか?赤毛の王弟殿下...
一筋縄ではいかなさそうだが、彼を落とせばこの戦も長引かずに済む。*
王弟殿下?
あの目立つ優男か。
確かにあいつがいたのなら、指揮権引き継ぎでもたつくこともないか。
とすると大将自ら出てきたということか?
思った以上に剛毅だな。
[ちょっと見直した、とばかりの鼻息ひとつ。]
― 回想 ―
政敵を、余興のどさくさに紛れて暗殺しようとする野心家だと、王国に喧伝でもしたいのか?
[ そんなものは叔父一人で沢山だ。という本音はコエにも乗せなかったが、恐らく、カナンには伝わっただろう。 ]
― 回想 ―
この猫の顔した虎は、そんな単純な男でもないだろう。
向こうがそう思うならそれで、たいした相手じゃないってことだ。
[しれっと答えたあと、一拍の間が落ちる。]
…それもお前が無事だったおかげだな。
今度、なにか奢る。
[若干の謝罪と安堵の念がコエに漏れた。]
― 回想 ―
彼が虎だというのは同意するが、お前は他国からの評判を少しは気にしろ。
たいした相手でなかろうが、お前が侮られるのは、俺が侮られるのと同じだ。
[ お前と同等に戦えるのは俺だけなのだから、と、続ける前に、落ちる一拍の間......声音を僅かに変え、落とされた言葉に、小さく息を吐いた。 ]
奢るなら肝を冷やしたお前の信奉者達にしろ。俺は、あの程度の事で、お前に借りを作られる程、惰弱じゃない。
[ 殊更に冷めた声を返してから、小さく笑う。 ]
お前が自分を的にと言い出していたら、その場で殴り倒してやったがな。
[ 結局はそういうことだ。と、言葉の裏の想いが、その響きの柔らかさに乗るのは無意識のうち* ]
― 過去 ―
お前はどうしてそう、落ち着きがないんだ。それで先輩面なぞ、良く出来たな?
[ 危険にも一切怯まぬカナンは怪我も多く、いつの間にか、その度に説教めいた言葉を吐きながら応急手当てをするのは男の役目のようになっていた。 ]
お前を倒すのは俺なんだ、くだらん怪我で命を落とされては困る。
[ 付け加える文句は、少々苦しい言い訳に近くなっていたものの、本音であることは間違いない。 ]
[ 苦しくはあるが、楽しくもあった、と、振り返れば思う、その日々が様相を変えたのは、父...バルタ・ザールが戦死し、母が後を追うように亡くなった時だ。
本来であれば、成人までの次期当主の後見となる筈だった母を失い、叔父が当主代理として、その権を握った。 ]
「私がお前の母を毒殺したなどと噂する者もいるが、女を手に掛けるほど恥知らずではない。無論、お前が望むなら、いつでも当主の座は譲ろう」
[ 父母の葬儀の場で、そう告げてきた叔父に、男は「それには及びません」と答えた。 ]
私は未だ若輩で未熟です。いずれ妻を娶り、当主としての責を果たせるようになったと、叔父上が認めてくださる時が来るまで、研鑽に励みます。
[ そう答えなければ、おそらく自分は成人するまで生きられない。
それを判断できてしまうだけの知恵が、男にはあったのだ。 ]
[ その時から、表情を変えることも稀になった男が、顔色を変えたのは、カナンが遭難したと聞いた時、そして、新元首の候補としてカナンと男の名が並べて噂されるようになった頃、叔父からカナンへの激励の酒を渡すようにと言付けられた時だ。 ]
カナン、くれぐれも叔父上には気を許すな。
[ 自分はカナンには疎まれているから、贈答などは渡しても突き返されるのがオチだ、と、毒入りの酒は叔父に返したが、それで諦める相手ではない、と、カナンに改めて注意を促したのも記憶に新しい。 ]
[ わざわざ芝居掛かった毒味を始めたのもその頃だ。いつ叔父に毒殺されるか知れない、と、毒に体を慣らして来たことが、こんな形で役立つとは思わなかったが、それを望外の幸運だと、男が思っているのは確かだった。** ]
カナン、お前を出し抜き損ねたようだ。
まだ、勝負はついていない、と、思いたい所だが。やはり、あの虎は強いな。
[ 炎揺れる海から、届くコエは、僅かに沈む。弱音ともとれる内容は、この男には珍しいものだったろう。
耐性があるとはいえ、身に回った毒が、いくらか気を弱らせているのかもしれない。 ]
だが、お前を無敵にするつもりはない。
お前が、戻るまでには片付けておくさ。
[ けれど、最後の宣は、常の如く...いや、常より明るい調子で告げられた。
だから必ず戻れ、とは、やはり言葉にしないまま。** ]
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