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[片割れを亡くして以来、
“ハンス”はずっと“ペーター”として生きてきた。
本物のペーターは、自分の身代わりとなって死んだ。
大人達に嘘をついて、一緒に行くことを拒んだ。
そのことが重石となり、少年の心を責め続けていたのだろう。
いつしか“ハンス”と“ペーター”の境界は曖昧となり、
幼い少年の内に、二つの心が宿ることとなる。]
[懐かしの本を開いた時。
過去の記憶と共に、再び自らの罪と、
それを咎める心が芽生え始める。
どれだけ耳を塞いでも、聞こえてくるのだ。
懐かしの声が。]
“ねぇ、ハンス。
どうして君だけ生きているの?
まさかハンスだけこのまま幸せになれるなんて――…
そんなこと、許されるわけがないよね……”
[それが夢とも知らず、
少年の心は一晩中“声”に苛まれる。
――…わかってる。わかってるよ、ペーター。
僕は、幸せになんてなれない。
なっては、いけないんだ。
君にばかり、辛い思いはさせないから。
だからもう、]
[罪悪感に捕らわれ続けた少年の心は、
いつしか希望を失っていた。
大人達は彼をいい子と言うけれど。
実際は“ペーター”らしくあるために、
体裁を繕うのに必死である。]
[そして、心に巣喰う“
人の身ながら、いつしか滅びを願うようになっていた――。**]
―いつか―
[聴き慣れた××××の声。
鈍く光る白色の棘
ぽた、ぽたとリズムを刻んで――喰い千切る。
――…ねえ。
殺して。
ひゅうと空気を吐く咽喉が鳴る。
苦しいはずなのに、何故?
痛いはずなのに、何故?
――…どうしてそんなにも幸せそうに微笑むの?
母さん。]
[カチッ。]
[音がしたようにも感じられれば、周りの風景はぐしゃりと歪んで。
――…何時か何処かも覚えていない。
母の膝に乗せられた幼子は、母の話を黙って聞いていた。]
『人狼は居るのよ。美しくも恐ろしい人の姿をした狼は。
本当はね…貴方がそうなの。
……ねえ、ヨア。』
『――…何時か。
貴方が牙の使い方を覚えたら、母さんを殺しておくれね。
そうして、跡形もなく、食べて…』
『貴方の中に永遠の命を頂戴。』
[歌うように言った母は、何処か赤味を帯びた眼差しで笑っていたような。]
[カチッ]
[――…切り替わる。
獣は、赤い泉へと顔を浸していた。
幾ら果実を啄もうとも、水を通そうとも、決して満たされることのなかった「渇いた」身体が初めて満たされた感覚に、洩れるのは…愉悦を孕んだ低い聲。
本能のままに、目の前の「エサ」を貪っていた。]
[――ぴちゃん。
やがて…最後のひと欠片――飲んだ液体が胃の腑へ落ちる音。
……暫くの間――そして、もう一度。
――ぴちゃん。
――……
獣は自覚のないまま、不自然なほどに固く動きを止め、じぃ…と"エサ"を凝視した。
生命の泉が枯れ、所々欠けたそれは青白く人形のように横たわっていて、それでも、見間違え様のない…××××――
一秒。 …二秒。 ……三秒。
――…沈黙。]
……ぁ。あ…――――――――!!!!!!!!!!!!
["それ"はやがて、獣と人の混ざり物となった聲で、叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
ヒトには認識されぬ『聲』を発する喉を潰れてしまえとばかりに掻き毟りながら、その息の切れるまで、唯。
音の掠れて消えるまで、獣は――咆吼した。]
[――…それから。どれだけの時が立ったのか。
幼子の孕む赤はやがて白へと掻き消されて。
積もる白さはやがて広がる赤の中へ塗り潰されて。
滲んで歪になった視界。
幼子は緩く開いた双眸に虚ろな光を映したまま、
空の灰色を見上げていた。]*
―回想・深夜―
[月明かりが、冷気を漂うかの如く頬を撫でる。其の日の月は、何故か鋼色に見えた。冷気をその身に纏わせる、抜き身の刃だった。雲を切り分け、夜の闇まで切り進み、侵すように染み渡る。その様相は、或いはその月明かりから生み出されているかのようにすら見えるのだった。]
……。
[身体の中にいる獣が月明かりに共鳴して、浮上するように目を覚ます。聴覚を満たす静寂は真っ逆様に地へ堕ちて、視界を駆ける暗闇は瞬く間に虚を描く。
自身を構成する全ては、他人からの借り物だ。 初めから枯渇しきっていた砂漠のような心には、理想を追い求めるような気概もなく、だからこそ他人の理想や期待、或いは望みを借りる必要があり、自分の理想がないからこそ、期待以上のものを作ることはできないのだった。]
あの日――。
[――自分が真に枯渇しきった日。あの日から、乾いた心は期待や願いだけでなく悪意まで吸い込むようになっていた。その成れの果てに、“彼女”と同じ存在になっていた。今はもういない、自身に「生き続けて欲しい」と呪いをかけた、あの人と。
自身にすら己の意思が介在しない。その行動は全て他人の意思で構成され、大凡人とは程遠い。
…は数刻の間目を瞑り、意識を自身へ埋没させる。次に目を開けた時、彼から生気が完全に失われ、その瞳はただひたすらに死を体現したかのような暗闇を指しているのだった。]
――…村の中は文字通り『生き止まり』になっちまったって、ね。
[低く呟く聲も――また、唯の独り言。
ぺらり。
ぺらり。
それでも…捲る本へと乗せる男の手は、何処か固い。]
――…
[何処か、近くとも遠くとも取れる場所で"聲"の聞こえたような気がして、ぴくりと肩を揺らした。
僅かな間の出来事。相対する幾人かは意味を読み取れなかっただろう挙動だけれど――…さて。]
………………ふん。
怖いどころか、滅ぼしてくれるというなら、
むしろ神より人狼の方がありがたい存在じゃないか。
[意識の奥底で響くのは、“もう一人のペーター”の声。
罪の意識に苛む少年が作り上げた、もう一つの人格。
自分を責め、世界を憎み、滅びを願う“
―昔のこと―
[少年が青年になり、何時か"××××"の顔も忘れ始めた頃のこと。
青年は、一定の時期を重ねるごとに、身体を蝕む「渇き」に襲われるようになっていた。
何を食べようと飲もうと、収まることを知らないそれは青年の身体に確実な衰弱を齎し、立ち上がることさえ困難になるほどに追い詰めていった。
――…死ぬ前に、喰らえ。
頭の中で響くその聲は、果たして青年のものだったのか、別の誰かのものだったのか。
それに対する、青年の答えは決まって、僕は食べないという一言だけだった。]
[それでも身体の限界も精神の限界も何時かは訪れるもので。
やがて、水すら受け付けなくなった青年の身体は、元の体と見た目のみで言うならそう変わらないながらも、落ち窪んだ眼窩と黒玉のように精彩を欠いた瞳で日々を生きていた。
頭の奥、脈動のように鳴る音は、段々と強くなり。
――…幾らの時が経ったか。
その音が止まった頃に、青年は自分を俺と呼称するようになっていた。
そうして、"食事"をすることにただの一つも抵抗を覚えなくなったのは、それから間もないこと。]*
[噂一つが人々の心を乱す。被った面は悉くはぎ取られ、やがては真の姿を曝け出す。]
なるほど。これが彼女の見ていた景色の、一端か。
[宿に足を踏み入れた瞬間に、多くの感情が流れ込んできたのだった。其れに対して、多少の感慨めいたものはあるものの、基本は何も感じない。己の生き方は変わらない]
僕に何かが望まれるのであれば、応える。ただ、それだけ。
生きるために何かを為す必要があるのであれば、躊躇はしない。空っぽの自分には躊躇することすらできない。
[間を置かず、振るった爪にゲルトは気付いたか、どうか。
男が噴出した温かい飛沫を全身へと浴びる頃には、その身体は何の意識も持ち得ぬ物体に変わって地面へと転がっていたから、知るすべもなかった。
死の間際、ゲルトが何を思っていたか。
そんな事はもうどうでもよくて、爪へと付いた赤い液体を舐め取れば、後は、唯。
――…喰いたい。
繰り返し繰り返し、脳髄を這う欲求に身を任せ。]
[派手な音を立てて咀嚼する。――啜る。――噛み砕く。
吐く息はやがて荒く、獣のものに。
捲れ上がる口元には白く鋭い刺が覗いていた。
ゲルトを森の中へと呼び出したのは正解だった。
宿の中で襲ったりしようものなら、きっと、久しぶりの狩りに昂ぶる気持ちを抑えていられなかっただろうから。
無心に貪っていれば、我に戻る頃には"ゲルト"は元の形を止めなくなっていただろう。
噎せ返るほどに口の中に充満する血肉の味に多幸感を感じながら、獣は、赤く濡れた腕をぺろりと舐めたのだった。]*
[誰でも良かった。
己の渇きを満たしてくれる存在ならば。誰でも。
ゲルトを選んだのは――きっと。
勝手知ったる相手、だったから…こそ。]
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