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[見間違いなら良かった。
聞き間違いなら良かった。
自身が見せた怯懦からの幻覚であれば、どれ程良かったか。
夜の香りの濃い、月如く煌く女性。
心音が喉下まで迫り、心臓が鷲掴まれるように絞られた。
見間違えようも無い、聞き間違えようも無い。
眼前に居る彼女は、己が唯一人約束を交わしたひと。
月夜の記憶が蘇り、真実が己の神経を舐め上げる。]
―――何故、
[答えを知る筈なのに。
いや、いつだって、傍に答えはあった筈なのに。
茨のざわめくこの城で、悠々と舞う黒い蝶。
この城で強く感じた彼女への哀愁。
果たせなかった約束ばかりを思い出して。
己を盲目にさせていたのは、きっと自身の心の底に眠る感情の所為。
それを戯れに玩んだ事はあっても、真摯に向き合ったことなど一度も無かった。
冷徹にして計算高い聖将すらも盲目に変える、
―――恋情という、痛々しい程に切ない魔法。]
…ああ。そのようだ。
[見ていた、と言外に含めて弟の言葉を受け入れる。]
あの子は、うかつに触れてしまえば消えてしまうから。
―――いや。ほんとうはそこを乗り越えて
深く踏み込むことこそ、必要なのかもしれないけれど。
[さわ…と見えぬ手を伸ばす。
弟の胸に染み入らせるが如く。]
同族喰らい?
あの子が他の吸血鬼を襲っている、ということかい?
[疑念には、こちらも首を傾げる。
我が子が人であれ魔であれ、
他者から血を奪っているところなど見たことは無いが。]
それであの子が命を繋いでいるのなら、
構わない、と私は思うよ。
[同族を狩っているのでなければ。
思考は我が子の命を至上とする。]
[大見得切った唇が、浅く揺れ。
瞳が彼女を映し、さかしまに読む込む。]
―――…後悔すら、君はさせてくれない。
[輝かしい月夜と反し、血臭が騒ぎ、茨が這い、
満身創痍で彼女と相対しても、あの、半年前の月より、
彼女の背負う白い月が、ずっと眩しい。
仮令、どれだけ、罰と罪に絡め取られても、
一目と願った彼女との再会を、悔いることが出来なかった。]
[命なんて、無粋な文句だ。
彼女に、下の下だと評されたって仕方ない。
本当に欲しい心には、手が届かない。
己を家の名で呼ぶ彼女に、一際鋭い棘が胸に刺さった。
彼女の元へ進ませる気力は、家督が鼓舞する所為ではない。
ほんの少し、唯一歩でも、彼女に近づきたかった。
遠い遠い、彼女の傍へ。
這う思いで、我が身の一心で。]
……私は、後悔してるわ?
あの時、貴方を殺しておけば良かったのにね。
[銀で灼いた傷から溢れる血の勢いは、未だ鎮まる気配もない。
赤黒く染め上がった左腕を見遣り、本当に残念、と低く囁く]
[彼女を慰め、涙を拭うには手が足りない。
失われた使徒の力、彼女を抱きたがる左手は刃を持つ。
己の欠けた右腕、彼女の傷付いた左手。
傍らに寄り添い、手を結ぶことすら既に夢物語。]
それは魅力的なお誘いだな。
俺の心を射抜いただけじゃ、飽き足らないかい?
[音も無く呵呵と笑えば、すぅ、と息を引いた。]
[身を退いても強引に捕え、逃げ出せない言い訳をくれる腕を。
この半年、ずっと何処かで待ち望んでいた。
それが何処にも望めないなら、代わりに願うのは――]
………、心もない言葉しか吐き出さない男は。
いっそ殺したいくらいに、腹が立つと思わない?
[嘯く男の唇が笑み綻ぶのを見つめ、眉をきつく顰めてみせる]
[彼女を泣かせる男は自身だけで良い。
これが道ならぬ恋だとして、
これが叶わぬ想いだとして、
一体、どうして悔いることが出来ようか。]
[己の名を、唯の一度も恥じたことが無かった。
我が家の名は、心を意味し、魔を屠らんと打ち立てた始まり。
家に伝わる古い古い昔話。
天使と恋に落ちた御伽噺を祖とする。
末裔たる己は、彼女の心臓目掛けて剣を突き出した癖、
器用にその脇を通し、決して、彼女を傷つけなかった。
嘘じゃない、と笑う男が落下しながら剣を離す。
どうせ、この高さから落ちて、無事では居られない。
――――彼女も、己も。
それなら、もう剣を手にする必要が無い。
この腕で、―――ずっと、求めてきたように、
彼女の身体を壊れるほど強く抱きしめた。]
―――君、
[そっと囁く声が、彼女の耳元に絡まる。
ぶつかった衝撃はあろうが、
無慈悲と謳われる聖将は彼女ばかりに剣を立てなかった。
地面までが随分と遠い。
いいや、きっと彼女と居れば、一瞬は永遠となるのだろう。]
ずっと、聞きそびれていた。
ずっと、聞きたかった。
なぁ、君。
[強請るように、恋うように。
胡散臭いと言われがちの甘い声が零れる。]
[幾度も護られてきた身を、恋うる男の刃先に自ら晒すこと。
愚かでも、罪深くとも――これが、己の選びとった命の使い時]
[もう逃がすまいとするかのように、身の中心へと向けられた刃。
心臓を刺し貫く痛みは訪れず、男に抱かれ、風に曝される瞳をきつく眇めた]
――…どうせ、そんな事だと思ったわ。
傷付けたら、貴方のものにはできないものね?
[この心が掌中にあることも、この男なら、どうせ知っていたのだろうと]
[鋭敏な耳に絡みつく声さえ、離す意志など欠片も含まぬ響き]
……もう、聞く気がないのかと思ってたけど?
[拗ねた響きは、何時かのように]
今、けっこう、危険なことをしている自覚がある。
[服薬しているからといって、聖血の効果を消せる補償はない。
だが、ギィのところへユーリエを行かせるわけにはいかなかった。
行かせれば、ギィはなんの細工もなしに聖女の血を吸いたがるに決まっているから。]
あなたを、喜ばせることができればいいんだが──叱られるかもしれない。
…まぁ、いいわ。
強引だけど、約束通りエスコートしてくれたから。
―――アプサラス。
ねぇ、呼んでみて?…ソマリ。
[強引に抱いてくれる男の左腕と、胸に抱き締めるその声だけ在ればいい。すぐ傍で響く男の声に、また耳を澄ませた*]
[彼女の声が近い。
足りない右腕の分だけ、聡明な彼女を強く抱いた。
彼女の呆れた声も、拗ねる仕草も、己の心を少年のそれに変えゆく。]
[耳に届いた声に、目の奥が痛むほど痺れた。
風の加護も無く、使徒の力も無く、
ただ溢れる感情に突き動かされるまま、口を開いた。]
―――…良い名前だ、アプサラス。
[闇に真っ逆さまに落ちながら。
それでも何一つ恐ろしいと思わなかった。
得た名ごと彼女を抱いて、彼女に対し二度目、人生二度目。
光り輝くように、心より笑って見せた。*]
聖は魔を浄める。
魔は聖を穢す。
どちらの色に染まるかは、色の濃さ次第──にならないのは色彩学をかじった者なら知っていること。
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