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[窓から見上げた空はどこまでも高く、果てしない程に遠く感じられた。
空は遠い…まるで私のこの身に宿る血の宿命と、人の業の距離のごとく…
手を伸ばしても届くことのない遠い遠い場所…
この時期はそれがやけに強く感じられる。
感じると同時に…身体が疼く。
自覚はとうに持っていた。
既に何度も手を血に染めていた。
それがどういうことなのかもわかっていた。
後悔や嫌悪がないかと言われればそんなことはない。
この身を呪ったことも一度や二度ではなかった。
けれど……感覚が麻痺し、やがて受け入れる歳月は充分に重ねていた。]
それが私…
― 回想・自宅にて ―
[久し振りに帰ってきた我が家。
懐かしさより余所余所しさを感じてしまう。荷物を下ろせば埃が舞い立つのに眉を顰めた。お世辞にも家の中は綺麗とは言い難い。
荷袋の中身を探ってはパメラへの土産を取り出す。】
[やや高地にある星狩りの村では不思議と星も近く感じられた。その昔、星狩り村の遥か上の空で大きな星が流れた。流星は砕け、幾つもの細かな小さな星となって丘に振って来たという。
そんな言い伝えがある通り、星狩りの村では名産として星の欠片が売られていた。
持っていれば願いを叶えてくれるという流れ星。
アルビンは子供騙しの様なその話しを信じている訳ではない。
喩えその話しが本当だとしてアルビンの願いを叶えてくれるとは思えなかった。]
[自宅に帰る道すがら交わした会話を思い出す。
時間は消えない壊せないとパメラはそう言ったが本当だろうか。
オットーやゲルト達と森や山を駆けていた頃の自分はもう居ない。
その事を知られても尚、積み上げて来た時間は変わらないのだろうか。
随分と自分は変わってしまった……。
「あとどれくらい時間を重ねていったら、ゲルトやオットーに近づけるのだろうね?」
"可愛い妹"の質問に自分は答える事が出来なかった。
その方法を昔の自分は知っていたかも知れないが今の自分は知らないのだ。]
[本当に星の欠片なのか分かったもんじゃないが美しい石だ。
自分の願い事は叶う事は無い。ならば、せめて、パメラの願いが分からないが彼女は幸せになって欲しい、そう思って、思っていた、のに……。]
─ 人とヒトがすれ違った日 ─
[私がこの村に来たのはちょうど10年前。丁度この季節だった。
夏至祭は既に終わってはいたけれど、未だ一面に咲き誇る花々はよく覚えている。
前に暮らしていた村も花盛とそう変わらない規模の村だった。
その土地のことは殆ど覚えていない。花盛のように花に彩られた村ではなかった。
話に聞いた星狩のような特別な伝承があるわけではなかった。良くも悪くも普通の…変哲もない村。
だからきっと何も記憶に残っていないのだ。
いや……そうではない。
覚えているいることがある。
それは…恐怖と憎悪だ。
あの村の記憶は恐怖と憎悪に塗り潰されて、今はもうない。
ただ、どす黒い塊が胸の奥底に眠っているだけだ。]
[この村に来てから2年の歳月が経った。
引っ込み思案だった私も祖父の住まうこの村にすっかり馴染んでいった。
年中通して和ませてくれる花々は本当に綺麗で、なにより人の心も澄んでいた。
いつの間にか兄のように慕うようになったアルビンやオットー。
終始マイペースでどこか憎めないゲルト。村で唯一年の近い、まるで草原に咲くのひまわりのように可愛らしいカタリナ。
皆が私に優しくしてくれた。
だから、私は私でいられた。その日までは──]
[山の恐ろしさは何も自然の脅威や獣の存在だけではない。
いや…その類の恐ろしさだったら、きっと良かったのだろう。
大いなる自然に飲み込まれたのなら、絶望を感じるまでもなく全てを攫ってくれただろう。
野犬や狼…弱肉強食の理に身を置く物ならば、抵抗をするまでもなくくびり殺してくれただろう。
彼らの思いは純粋だ。ただ生きるためにそうするのだから。
私に降りかかった災厄は、そんなものよりもっと歪で醜悪で……邪だった。
ある意味で本能に忠実ではあるのだろう。だが、その小賢しくも醜悪な邪念は、私を恐れさせ怒らせ、そしてその血を滾らせるには充分な時間を与えてしまった。
全てが不幸だった。あの日私がアルビンの話をちゃんと聞いて、山になどいかなければ。
その存在が私になど目をつけなければ。
私がただのか弱い人間だったならば。
── 全ては戻らない時間の彼方]
『たすけて たすけて
怖いよ アルお兄ちゃん』
[あらん限りの声を張り上げて、助けを乞うた。
何度も何度も名を呼んだのは村で一番頼りにしていて
一番慕っていた者の名だった。
逃げれば捕らえられ、抵抗すれば殴られて痛みに顔を歪めながらもただただ名を呼び続けた。
口の中が血の味で満たされ、腫れ上がった瞼が視界を奪っていく。
怖かった。憎かった。それでも睨みつけた。
なんで自分がこんな目に合わなければならいのかと、目の前の存在を呪い殺さんばかりに睨みつけた。
── 視線が交錯する。
その目には覚えがあった。忘れていたどす黒い塊の中に燻っていた記憶の眼だ。
父を殺し母を殺し、今私を殺そうとしている目だ。
蹂躙し、嬲りものにして慰め者にして…命さえも奪おうとした眼だ。
私の中で何かが弾けた───]
[彼はいつからそこにいただろう?
私の記憶が夢なのではなかったら、人だったものを食い散らかし血臭をまき散らし、爛々とした目で彼を捉える一匹の狼が写っていたはずだ。
八つ裂きすら生ぬるい、人とは言えない肉塊を付着させ、口元からボタリボタリと血肉を滴らせた獣が、獲物を定めにじり寄ってくる様だったはずだ。
そう…だって、私の目に映る彼はとても愛おしくて…
とても美味しそうだったのだから]
[疾駆する。飛びかかる。本能の赴くままに爪を立てようとする。喰らいつこうとする。
けれど、そこで私の爪は止まる。
それはいけない……と、寸でのとこで踏みとどまらせる。
自我があったわけではない。ただ獣の本能以上に、それに抗うヒトの本能が勝ったのだろう。
失いたくない…という。私の本能が…想いが。
だってこの人は私の──
そこで私の記憶は途切れた。]
[気がついた時、私はどこにいただろう?
彼の姿はどこにあっただろう?
彼の姿を見た時、安堵とともに涙があふれた。
抱きつくことを彼は許してくれただろうか?
「ごめんなさい ごめんなさい」とそれしか言えない私を彼はどうしただろうか?
全ては遠い記憶の果て
過ぎ去り日永遠の日々
私が人からヒトへと生の標を変えた日
胸の奥に忘れることの出来ない痕を追った日──]
[この日を境に私の中に眠る血は 人間を欲するようになった。
ただの飢えではない。ただの渇きではない。
抗いがたいほどに強烈な欲求
抗い続ければ自我を飲み込んでしまう欲求だ。
特にこの季節、夏至の付近ではその衝動が顕著になる。
耐えようとした。死のうともした。
けれど、それはできなかった。
耐えていても気がつけば血だまりの中に自分がいた。
死のうとしても、ひとつの想いが邪魔をした。
いつしか、生きることにも死のうとすることにも疲れ果て
私はそれを受け入れるようになった。
自我を保てるうちに、人里を離れ哀れな旅人を襲うようになった。
自我を持って、喰らうようになった。
本能だけで殺せばきっと楽なのかもしれない。己の欲求に忠実に全てを壊してしまえば楽になれたのかもしれない。
けれど、私は人ではないけれど、ヒトだ。獣ではない。
それほどに純粋ではなかった。咎としてそれを受け入れることにした。
だから知っている。私は人殺しだ。浅ましく意地汚く、たったひとつの思いのために罪を重ねる愚か者だ。]
[そんな私を知っているはずなのに、彼は今も私の前にいる。
彼の知るところだけでも両手で余る人間を殺めている私を前にして、かつてその牙にかけようとした私を前にして、それでも常と変わらぬ態度で私に接してくれている。
きっと何度も助けてもくれていただろう。その手を汚してくれたこともあったかもしれない。
「どうして?」とは聞けなかった。
聞くのが怖かった。何もかもを聞くのが怖かった、
だからどうして、彼がここに居るのかもわかっていなかった。
けれど…ここにいるのだ。彼は今もまだ私の側に]
………
[やがて私はふるふると首を振って、血を飲む代わりにその手を求めた。
おずおずと手を伸ばし、叶うならばその手を握りしめたことだろう。
その言葉が初めてだったとしても、数多の中のひとつだったとしても、私は頷くことはなかっただろう。]
……あのね
[それでも、きっと彼はわかってるはずだ。
私の身が限界であることを。自我を失えば蹂躙するだけ。一晩にして今ここに残っている人間全てを食らいつくさんとすることを。
そうしないために…誰かを犠牲にすることを。]
こんなことになるなら、女将さんについてここを離れておくんだった。
[そうすれば、少なくともこの村は失われずにすむ。
私の知る優しい人たちを、好きだった人たちを。
夏至付近に嵐がくることなど今までなかった。ここまで断続的に血を求めたくなることなどなかった。
これは、きっと慢心なのだろう。多くの誤算で後手に回ってしまった。]
あのね…もし……
[出かかった言葉はそこで途切れる。
何度か絞り出そうとしても、続かない。
躊躇するように何度も首を振って]
一緒にいてね。これからも、ずっと…
それから…ごめんなさい。
[言いたかった言葉はそうではなかったのだけど…
私はただ、それだけを告げて彼を見つめ続けた]*
[内なる衝動を歯を食いしばって耐えながら、家路に急ぐ。
どうするか…は知れたこと。
では誰を…となればその選択肢は限られる。
一番胸がいたまないのは、かの神父だろう。
私には縁もゆかりもない存在だ。だが、彼の寝床は教会。そこにはシスターもいるだろう。気づかれれば私はもとより、私をよく知る者たちへも懐疑の目が及ぶ。
カタリナ、オットーはさすがにはばかられた。
衝動に駆られ勢いでできる相手ではない。
…決心が必要だ。ならば]
あのね……
[誰を…とは告げることはできなかった。
けれど視線の先にあるのは一軒の家。そこの住人は傍らの彼とてよく知った者のもの。彼にとって思い出深き幼なじみの家だった]
[あの日、アルビンはパメラに言い聞かせたのだ、
「ひとりで山に行っては行けないよ、ひとりでは助けも呼べないのだから。森や山は危険なんだからね。」
幼い子供が一人で山や森に出掛けて万が一の事があったとしても助けは呼べず。
それなのにアルビンが気付いたのは……。]
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