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[足首を掴まれ、のし掛かられる。
さらに足を大きく広げられ、膝が胸につきそうなほど深く折り曲げられて、息を吐いた。
生暖かい舌が這いまわるのも唾液がべったりつくのも息が掛かるのも股間にしきりに熱いものが押し付けられるのも、なにもかもが気持ち悪い。
捕食される恐怖と生理的な嫌悪が相まって、いっそ早くしてくれ、と願うほどだった。
さもなくば、いまにも声を上げて逃げ出してしまいそうだ。
人を救う使命感と覚悟が、いたぶられる恐怖に侵食されていく。
もうこれ以上は耐えられない。食うならさっさとしろ。
そう声を上げかけたとき、不意に人狼の方が頭を抱えて叫んだ。]
[なにが起きたのかと驚き固まる目の前で、銀狼の体が縮んでいく。
その変容を、あっけに取られながら見守った。
短くも劇的な変化の末に現れたのは、師と慕うほどになったひとの姿。]
………監督官ど の ……?!
[喜びの声が途中で色を変えたのは、その背に巨大な翼を見たからだった。
上げた足を降ろすのも忘れたまま、息を吞んで見守る。*]
エディ…! ああ、
[ 想い溢れるままに、目の前に現れた候補生を掻き抱き、胸に顔を引き寄せた。
勢いのあまり、彼にのしかかるような体勢になり、あまつさえ、その右足を肩に担ぐ形になっているのに気づいて、慌てて解放し、代わりに周囲を銀翼の幕で覆う。]
[ 二人だけの空間の中、驚愕に声を失ったエディの目を見つめ、そっと視線を伏せた。]
…辛い目にあわせたな。
[ 怪我はないか、と問うのも憚られて、言葉の接ぎ穂を失う。*]
[混乱したまま、先ほどの繰り返しのように抱き寄せられ、反射的に突き離そうとする。
押さえこまれることもなく解放されて、今度は銀の翼に包まれた。
それがますます現実感を失わせる。
銀色に切り取られた空間の中、助けたいと願った人と二人きりで向き合って見つめ合う。
短くも痛み分かち合うような言葉を掛けられて、不意に、恐怖の時は去ったのだと気づいた。]
ひ、 うっ ……く、ぅ…
[緊張がゆるんだ瞬間、押さえていた感情が溢れ出し、どうにもならなくなる。
目を見開いたまま顔が歪み、嗚咽が零れた。
流れ出すものを止める術もなく、ただ、ただ涙を流して立ち尽くす。]
[やがて。衝撃が去り、涙も流れ尽くしたあと。]
おまえは ……御使いだったのか。
[感情の擦り切れた声でぽつりと言い、
それからようやく、震える吐息に万感を込めて、吐き出した。]
戻ってきてくれて、良かった ―――
[ エディが泣き出すと、光を編んだ布を中空から呼び出して纏わせた。
肌を晒すよう強要された肉体を包み込み、もう一度、そっと背を抱く。
泣き止んだエディの曇りなき信頼が、かえって胸に刺さった。]
…汝に真実を話していなかったことを告白しなければならない。
わたしは、もはや御使いではない。遠い昔に、いと高きところを離れた。
そして、あの狼は、この身に宿るもうひとつの魂である。
理解するのは難しかろうが、その目で見たとおりだ。
[ 教え諭す口調は静かなまま、エディを見つめる。]
月が満ちる晩になると、あれは私に取って代わる。
そうなっても被害が最小限で抑えられるよう、わたしは魔界の森の奥深くに居を構えてひとりで暮らしている。
[ 突然、身の上話などされて、エディは戸惑うかもしれないと思った。
けれど、彼が知らねばならぬことだ。]
時折、訪ねてくる者もいるが、この身に欲望を抱く不心得者ばかりだ。
孤独か戦いしかない生き方というのは、心を荒ませる。
わたしは──、
伴侶がほしくなったのだ。
傍にいて、心通わせる相手を。
そんな折、魔王から誘いがあった。
聖騎士を手に入れてやると。
わたしは…、その陰謀に加担した。
後は知ってのとおりだ。
わたしは正体を偽り、汝と共に過ごした。
[ 堕天使は再び人の姿をまとって、エディの前に立つ。*]
[口調ばかりは監督官のままの、銀色の天使が語る言葉を聞く。
天から降りた御使いの話。月と共に現れる狼の話。
伴侶が欲しいという告白。
魔王の、陰謀。]
聖騎士を、手に入れる…?
[つまり彼は、最初から自分を手に入れるために近づいてきたということなのだろうか。
これまでの自分の世界とかけ離れ過ぎた話に、理解が追いつかない。
ただほんの少し、この銀の天使が抱く孤独と寂寥に触れた気がした。]
[翼が消え去り、監督官の姿が目の前に現れる。
夢でなかったことは、己が握りしめている、光編んだ布が教えていた。
包んでくれる暖かさは、泣いている間、背を抱いてくれた手と同じだ。]
……おまえは、それでいいのか?
[胸が苦しくなって、問いかけた。]
あの狼さえ追い払えれば、そんなことをする必要はない。
おまえの中から、あれを追い出す方法は探さないのか?
[孤独と戦いだけの生き方など辛すぎる。
魔王などのはかりごとに乗らずとも、堂々と陽の下を歩ける道があるのではないか。
それを求めるべきではないのか、と問いかける。*]
[ 告白を受けて、エディがまず示したのは、偽監督官を救わんとする共感の発露であった。
己を罠にはめた、その相手をである。
天の同胞すらも、そのようなことは言ってくれなかった。]
汝という子は…
心優しき者よ、ありがとう。
あれを追い出せば、災いを野に放つことになる。
封印はわたしの役目だ。
だが、汝が気にかけてくれたことをわたしは終生、忘れまい。
[ 怖い思いをしたろうに、この清らかな子は
今は、汝のことを話そう。
わたしは、己の都合で汝を求めただけでなく、
あれが目覚めたら汝を食おうとするのを承知していながら、甘く見過ぎていた。
次がないとは言い切れない。
汝を留めておくのは、危険だ。
わたしは汝の許しを請い、悔い改める。
どうか人の世に戻り、当初の目的通り、聖騎士となって人々を守ってくれないか。
[ 身勝手な願いだとわかっている。自分の持ちを裏切っているのも承知の上だ。
魔王も、気に入りはしないだろう。
それでも、愛すればこそ、穢してはならないと思った。*]
[この降りた天使は、かの魔狼の封印が自身の役目なのだと言う。
その役目のために天を離れ、魔界で孤独に戦う道を選んだのだろうと理解した。
御使いとはかくも気高く尊い存在なのだと。
そしてまた、孤独を埋めんとした自身の心を悔い改めると言う。
永い孤独に耐えかねて、傍らに立つものを求めたのだろう。
その手を離し、再びひとりきりの戦いに戻ると言う。
もしも、共にと望まれたなら――だが、彼の願いを無視することなどできるだろうか。
地上に出ることができない彼の代わり、人々を守るよう求められているのだとしたら。]
罪を許すのは、唯一、偉大なる主だけだ。
[沈思の間を置いて、硬質な声で答える。]
私はまだ若輩で、おまえを許す立場にはない。
私自身の感情を言うなら、おまえに怒りなど覚えない。
おまえが耐え忍んできた苦難は、私が受けたものなど比べ物にならないほど辛く厳しいものだっただろう。
それでもなお私の身を案じるおまえに、
最大限の敬意と親愛を捧げる。
……そのうえで怒りを禁じえないのは、
おまえ一人にその役目を負わせた天に対してだ。
不遜であろうとは承知している。
だが、おまえからあれの魂を引き離し、野に放たれる前に討つだけの力が、天にならばあるのではないのか?
それもままならぬほど、あれの力は強大だと?
[ぞくりと体を震わせたのは、かの魔狼と対峙した恐怖が体に蘇ったからだ。]
……私にはあいつを排除するだけの力はない。
それが悔しい。
私に力があれば、おまえを一人になどさせないのに。*
[ エディの態度は、やはり聖騎士の手本とされるべきものであった。
敬神と謙遜、共感と寛容。
そんなエディがわずかに我を覗かせて、怒りを吐露したのには、胸をつかれた。
彼も自覚してるとおり、危険思想ではある。
それでもなお、伝えてくれた義憤は、孤独な魂に、どれだけ救いをもたらすことか。
この者が傍にいてくれたら── 再度、舞い戻る願いを、強いて微笑みで押し隠す。]
天は、乗り越えられない試練を与えはしないだろう。
[ いまだ使徒の軛から逃れられない、偽善者たるを認めつつ諭す。]
[ 非力を自責するエディと囁きの距離まで、顔を近づけた。]
その悔しさは、いつかきっと力になる。
たゆまぬ努力を続けてほしい。
わたしは汝を祝福する立場にないけれど、せめて、守護者となることを誓おう。
[ 曇り日の空のような銀の羽根を一枚、差し出した。]
[ 対話の最中に、魔王の声が届く。>>32]
…魔王が呼んでいる。 汝も共に。
この修道院にいるすべての者が集まる。
[ 明言はしなかったが、それは、他の聖騎士候補生たちと相見えるということだった。
偏屈な堕天使に選ばれたエディ以外の雛たちはもう、魔物の手中に囚われてしまっていると思われた。
その姿はエディに別種の試練を与えることとなるはずだ。
それでも、連れてゆかねばならない。*]
[諭す声の穏やかさに、天に疑念抱いた己を恥じる。
他を非難することなく、己がすべきことをせよ。
この場合、己がするべきこととは、なんだろうか。
差し出された羽根を、押し戴くように受け取る。
胸に押し当てて、彼と視線合わせた。]
おまえは今も私の監督官だ。
この先私は、おまえを人生の規範の一人とするだろう。
おまえと出会えたことは、私にとっての天恵だ。
ここへ入る前に言ったことを、覚えているだろうか。
私は聖騎士として新たな名を名乗るつもりだと。
[門に入る前に告げたことを、もう一度口にする。>>0:35]
その名、おまえに付けてもらいたい。
どうか、考えておいて欲しい。
[それは、名付け親として一生慕うと告げるにも等しい。]
[話している最中、ふと重い気配が吹き抜けた。
声として認識はしなかったが、本能的な恐怖を呼び起こされて身を硬くする。
魔王が呼んでいる、と告げられて納得と驚愕を同時に覚えた。]
行くのか。
………わかった。
[監督官が、伴うと言うのならば、行こう。
脱いでおいた服を着て、胸に銀の羽根を差す。
何が待っているのか考えるだに恐ろしく、身に寸鉄も帯びていないことは心もとないが、それでも、いつでも構わないと頷いた。*]
[ エディは、こんな半端者を敬ってくれるという。
天恵とまで称してくれたことには、身に余ると言いそうになったが、規範とすべきところだけを記憶に残してくれるならば、彼にとって悪いことではないだろうと思い直した。
さらに彼は、名を授けてほしいと頼んでくる。
それがどういう意味を持つかは承知していた。
それほど想われていることが嬉しくもあり、彼を手放すと決めた今は、虚しくもある。]
光栄だ。
[ 彼が求めるならば、できる限りのことはしてやりたい。]
[ これ以上は、長引かせても別れが辛くなるだけだ。
支度を促せば、エディは几帳面に畳んで木にかけていた服を着る。
魔王が執り行う叙任式だ、他の者たちは
私服とはいえないまでも、試験中のままの格好の二人は浮くかもしれない。
術で礼装を整えてやることもできたが、所詮は幻影だ。
エディが銀の羽根を胸に飾ってくれたのを認め、それで我々の絆は充分に伝わると思った。]
来なさい。
[ エディを従え、寂静の間に向かう。*]
[会話を続ければ続けるだけ、別れが辛くなるのはこちらも同じだった。
孤独のうちに彼を置き去りにする苦悩に、胸がかき乱される。
彼の願いを理由に、自分は逃げようとしているのではないか。
ふと落ちてきた疑念が、心に刺さった。
民のため、この身を捧げようと聖騎士を志した。
彼が願う通り、大願を成就させるべきだ。
……そう考えるのは、思考停止か?]
[悩めども、時は無い。]
ああ。 行こう。
[頷いて、彼の後に従って歩き出す。
魔王と対峙して、自分は何を為すべきか。
歩きながら、そんなことを考えていた。*]
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