「自分を見せる」のはあまり得意ではない。また、自分の能力への不安があり。
この不安は少なくとも本物だと思うぞ。自分にはできないと思うこと、はあっさりと触れないでおく。
逆に言うと、リヒャルトがやるのは自分にできる、必要だと思うからやっていること。
自分が村だ、という意識が強めで、吊り票が自分に来ることをすごくざっくりだと「狼が吊りに来たかと警戒」するが、>>223見ると単純に疑い返ししているわけではないと思うんだよな。
自分が村証明できていないからの吊り票、という意識もあり。だが吊りを向けられることへの警戒は強く。