[ 男はずっと口を閉ざしている。その表情は読む事ができず,男にしては珍しく,その顔からは笑みが消えていた。
ーー目の前には,壊れた吊り橋。壊したのは自分。自作自演の滑稽な物語は今終わろうとしている。
男は自分のローブの裏ポケットから,一本の短剣を取り出した。美しい白金色の刃が輝き,柄は銀製で美しい女性が彫られており,その胸元には大きなラピスラズリが嵌め込まれている。
男はそれを両手で持つと,自分の方に,その刃を向け…
ぶすりと心臓を刺した。
まだ暖かい血が,柄を伝って地面に落ち,スッと地面に赤い染みを作る。
男はフラフラと,その場で左右に動いていたが,いずれ頭から,川に落ちた。]
(じゃあな,世界。俺は最後まで自分の意思で決めてやる。生まれたのは運命でも,狼に目覚めたのは宿命でも,死ぬときは自分の手で終わらせてやる。
ーー俺は,誰よりも自由になるんだ。)
[ 人狼である男の体は,とても頑丈にできている。短剣で体を貫くくらいで死にはしないし,溺死するにしても,時間がかかるだろう。
まだ春を感じさせない極寒の水の中,男は薄く血の糸を引きながら,川の激流に呑まれ,川底へと沈んでいく。
男は目を閉じて,それを受け入れる。
だんだん息が続かなくなっていく男の瞼裏に蘇るのは,懐かしい遠い遠い記憶である。 ]