その一つの例は、病気などにより対話が困難な場合。
もう一つの例は、想いを交わしたい相手が既に亡くなっている場合。
前者のケースでは、筆談や手話などに代表される代替手段を用いれば、相手と言葉や想いを交わすことが可能です。
しかし、後者の場合ではそうした代替手段は使えないため、互いに想いを交わすことは困難。
生者同士であっても、必ずしも言葉によるコミュニケーションが成立するとは限らないことは、理解しています。
ですが、私は思うのです。言葉によるコミュニケーションの他にも、相手の想いを知る方法があってもいいのではないか、と。
そう思うに至ったのには、ある事情が背景にありますが、それについてもお話しします。