[当時の私は父の遺体の行方を知らなかったのですが、シルバー・メリー号は全てを把握済で、遺体は防疫隔離センター研究所へと送られていたのです。
出向を終えシルバー・メリー号に復帰した父は、ネオ・カナンでの奇病の件もあり、精密検査を受けていました。
結果、ほんの僅かながらガルーの陽性反応が出ていたのです。
本来ならステージ1にも満たない0.0003程度で、薬で処置可能なレベルだったこと。
人によっては目覚めないまま一生を終えることも普通にある程度だったのです。
ただし父の場合条件が通常と違い、ネオ・カナンで罹った奇病との合併症により、この0.0003が通常の数十倍以上の早さで進行したこと。
のでシルバー・メリー号が父の体調について把握した際には、既に手遅れだったのです。
――だからこそ、隠蔽されることになったのですが。*]