この舞台が何故に用意されておるか、それは儂にもあずかり知らぬこと。じゃがの、幾度と呼ばれた故にこの舞台の在りようは推し量れる。この月の舞台は、言うなれば一つの『せき』じゃ。主らの世界と儂らの世界を隔てる関であり、この場に流れ込むだけの力を持ち、この場が耐え切れるまでの力しか持たぬ者を通す堰。本来の力がどれ程であろうと、この場に喚ばれた時点で力の差など有って無いようなものとなる。それこそ、どれ程川幅が違おうと堰が通すを許す幅しか水が流れぬと同じ様にの。