[父は片親しかいない男に惜しみのない愛を与えてくれた。
出来る限り不興を買わないように注意はしていたものの、それは兄や正妻からの嫉妬を買う事になった。
兄と決定的に袂を分かったのは、男が十八の時。
病に伏した父に領主の代行を務める兄の補佐役に任じられた男は、兄と租税の事で口論になった。
その年は酷い不作で、領民から税を徴収するのが困難に思われた。
兄は例年通りに徴収するべきと主張し、男は自分達の受け取る分を減らすべきと主張した。切りつめられる分はある、と男は考えていた。
しかし結局は兄に押し切られる形となり、その年の税は王都と伯爵家に例年通りに納められた。
そして父が死んだ年、自分の身柄は‘療養’という名目で別荘に追いやられる事になった。]